
認定NPO法人プレーパークせたがやによる区内4冒険遊び場の運営
認定NPO法人プレーパークせたがやは、世田谷区の委託を受け羽根木・世田谷・駒沢はらっぱ・烏山の4つの冒険遊び場を運営する。行政が「場と資金」、住民とプレーワーカーが「運営」を担う二人三脚モデルと、日本初の常設プレーパークが40年以上続いてきた仕組みを紹介する。
認定NPO法人プレーパークせたがやは、世田谷区の委託を受け、区内4か所の冒険遊び場(プレーパーク)を運営する団体である。運営するのは、日本で最初の常設冒険遊び場として1979年に開園した「羽根木」をはじめ、「世田谷」「駒沢はらっぱ」「烏山」の4か所。いずれも「自分の責任で自由に遊ぶ」を合言葉に、たき火・穴掘り・木登り・水遊び・工作など、通常の公園では禁止されがちな遊びを子どもが自由にできる環境を、公園の一角につくり出している。
特徴的なのは、公園という「場」と運営費という「資金」の手当てを行政が引き受け、プレーワーカーと世話人という専門職・住民の二者が「運営」の実務を担う、役割分担型の協働モデルである。もともと住民の自主的な遊び場づくり運動から始まった取り組みが、区の事業として制度化され、2005年に4施設を束ねるNPO法人へと発展した。現在は常設プレーパーク4か所の運営に加え、遊び場を出前する「プレーカー」、乳幼児親子の居場所「そらまめハウス」、中高生を支える「思春期事業」など、多世代を対象とした事業へと広がっている。 (参考:世田谷区公式ホームページ「プレーパーク」、NPO法人プレーパークせたがや「よろしく!プレーパークせたがやです」)
プレーパーク(冒険遊び場)の源流は、第二次世界大戦後の欧州にある。子どもが自らの責任のもとで自由に遊ぶことを通じて、自主性・社会性・コミュニケーション能力を育む場として広まった考え方だ。日本では都市化や交通事情の悪化にともなって空き地や自然の遊び場が失われ、子どもが思い切り外遊びできる環境が乏しくなっていったことが、こうした遊び場を求める背景にあった。 (参考:世田谷区公式ホームページ「プレーパーク」)
世田谷での動きは、行政ではなく住民から始まっている。1975年頃、欧州の冒険遊び場に着目した区民が「あそぼう会」を結成し、烏山川緑道(暗渠)に「経堂こども天国」を開くなど、ボランティアによる自主的な遊び場づくりを重ねた。1977年には場所を移して「桜丘冒険遊び場」を約15か月間運営している。これらは期間限定・住民主導の取り組みであり、継続的に開かれた常設の遊び場をどうつくるか、そのための場所・資金・担い手をどう確保するかが次の課題となった。 (参考:NPO法人プレーパークせたがや「これまでの歩み」、生活工房「プレーバック、プレーパーク!」)
転機は1979年の国際児童年である。住民運動の蓄積を見ていた世田谷区が、この年の記念事業として冒険遊び場を採択。区立羽根木公園の東側にあった、ごみ捨て場になっていた起伏に富む一角を活用し、行政と住民の共同事業として羽根木プレーパークが誕生した。当初は夏休み限定だったが好評を受けて翌年から通年開園となり、常勤のプレーワーカーが置かれるようになったことで、羽根木は国内で最初にできた、通年で開き続ける冒険遊び場となった。区の基本計画には「児童を媒介とした地域活動を展開し、コミュニティの醸成につとめる」ことが掲げられており、単なる児童遊園ではなく、子どもの遊びを核に地域コミュニティを育てることが当初からの狙いであった点は重要である。 (参考:NPO法人プレーパークせたがや「これまでの歩み」、HILIFE 都市の鍼治療データベース「羽根木プレーパーク」)
住民運動から常設4か所へ(1979〜2003年)
羽根木の成功後、世田谷区内では住民活動を区が事業化する形で遊び場が段階的に増えていった。1982年に世田谷公園内の「世田谷プレーパーク」、1984年からの住民活動をもとに1989年に「駒沢はらっぱプレーパーク」、2003年に「烏山プレーパーク」が開園し、区内の4地域に常設の冒険遊び場が広がった。それぞれが地域ごとの世話人組織によって支えられていた。 (参考:NPO法人プレーパークせたがや「これまでの歩み」)
NPO法人化による運営基盤の統合(2005年)
4か所がそれぞれ別個に運営されていた体制を束ね、2005年にNPO法人プレーパークせたがやが設立された。これにより、世田谷区は4施設の運営を同法人へまとめて委託する関係へと移行し、地域ごとにばらついていた運営・雇用・研修を法人として一元的に担える体制が整った。役割分担は明確で、区が公園という「場」と委託費という「資金」を確保し、法人が専門職のプレーワーカーと地域の世話人による「運営」を受け持つ。 (参考:NPO法人プレーパークせたがや「これまでの歩み」、世田谷区公式ホームページ「プレーパーク」)
事業の多角化(2008年〜)
法人化以降、常設プレーパークだけでは届かない層やニーズに応える事業が加わっていく。2008年にはプレーパークのない地域へ遊び環境を届ける移動型の「プレーカー事業」を開始。2011年には羽根木プレーパーク内に乳幼児親子向けの屋外型の居場所「そらまめハウス」を設け、2015年には区の「おでかけひろば」として認定された。また、部活動などで忙しい中高生には食事をともにする場を用意し、若者自身が考えた企画の実現を後押しするほか、保護者同士が悩みを共有できる集まりを設けるなど、中高生とその家族を支える「思春期事業」も行っている。子どもの遊び場から出発し、乳幼児親子・中高生・その保護者まで、多世代の居場所へと事業を広げてきた。 (参考:NPO法人プレーパークせたがや「これまでの歩み」、NPO法人プレーパークせたがや「事業紹介」)
経営危機と組織基盤の立て直し(2010年代)
拡大の一方で財政面の課題にも直面した。2010年に法人が財政危機に陥り、翌2011年から2013年にかけてPanasonic NPOサポートファンドの助成を受け、外部の伴走支援を得ながら組織基盤の強化に取り組んだ。中期計画の策定、法人のミッションを表すコンセプトづくりと職員間での共有、持続可能な組織デザイン、事務局機能や業務内容の見直しを進め、40年近く蓄積してきた遊び場運営のノウハウを研修事業として外部に提供する方向にも力を入れた。この研修事業への展開が収益源の一つとなり、赤字からの脱却につながったとされる。 (参考:Panasonic NPOサポートファンド「NPO法人プレーパークせたがや」)
第一に、「場・資金は行政、運営は住民と専門職」という役割分担を制度として長期に運用し続けている点である。住民の自発的な運動を行政が引き取って事業化し、さらにNPO法人へと発展させる過程で、公民の役割を曖昧にせずに切り分けてきた。行政が直営で抱え込むのでも、住民ボランティアに丸投げするのでもない中間形態を、40年以上にわたり実際に機能させてきた実績そのものが、この事例の核である。 (参考:世田谷区公式ホームページ「プレーパーク」、HILIFE 都市の鍼治療データベース「羽根木プレーパーク」)
第二に、「プレーワーカー」という専門職と、地域の「世話人」という二層の担い手構造を持つ点である。プレーワーカーは、子どもの「やってみたい」という気持ちを支えるための研修を受けたスタッフであり、たき火や木登りなど危険を伴う遊びについて、リスクを見極めながら子どもが挑戦できる状況をつくる役割を担う。一方の世話人は、その地域に暮らす住民が担い手となる。専門性と地域性を組み合わせることで、単なるボランティア運営でも行政サービスでもない、地域に根ざしながら質を保つ運営が可能になっている。 (参考:NPO法人プレーパークせたがや「事業紹介」、NPO法人プレーパークせたがや「団体概要」)
第三に、遊び場運営で培ったノウハウを「研修事業」という別の柱に転換した点である。多くの委託型NPOが委託費への依存から抜け出せずに経営を不安定にしがちな中で、この団体は経営危機を機に、自らの現場知を外部に提供する事業を立ち上げ、収益構造を多角化した。遊び場という「現場」と、その運営知を売る「研修」という二つの事業を両輪にした点は、公共からの委託に依存する団体の持続可能性を考えるうえで示唆的である。 (参考:Panasonic NPOサポートファンド「NPO法人プレーパークせたがや」)
継続性と規模
羽根木の開園から40年以上、法人化からも20年にわたり、区内4か所の常設プレーパークが継続的に運営されている。組織体制は、役員10名、プレーワーカー9名、事務局職員2名に加え、4つのプレーパークの運営を支える世話人・サポーターである法人正会員が約60名という規模で、専門職と地域住民が層をなして運営を支えている。 (参考:NPO法人プレーパークせたがや「団体概要」)
事業の広がりと多世代化
常設4か所に加え、移動型のプレーカー、乳幼児親子の「そらまめハウス」(区の「おでかけひろば」認定)、中高生向けの夕食会や若者支援を行う思春期事業へと事業が広がり、乳幼児から中高生・保護者までを対象とする居場所群へと発展した。子どもの遊び場という単一機能から、多世代のコミュニティ拠点へと役割を拡張できている点が、活動の成果として確認できる。 (参考:NPO法人プレーパークせたがや「事業紹介」、NPO法人プレーパークせたがや「これまでの歩み」)
経営の立て直し
2010年の財政危機に対し、外部支援を活用した組織基盤強化と研修事業への展開によって赤字を脱却し、委託事業に依存しすぎない収益構造への転換を進めた。危機を経て運営体制を立て直した経緯は、行政委託型の市民活動団体が陥りがちな経営リスクへの一つの対処例といえる。 (参考:Panasonic NPOサポートファンド「NPO法人プレーパークせたがや」)
モデルとしての波及
世田谷の冒険遊び場は、日本で最初の常設プレーパークとして各地の遊び場づくりの先駆けとなり、区内でも取り組みが継続的に広がっている。2025年3月には区内5か所目となる「砧あそびの杜プレーパーク」が別のNPO法人(砧・多摩川あそび村)の運営で開園し、区は5地域それぞれにプレーパークを持つ体制へと展開した。同一団体による寡占ではなく、地域ごとに担い手が育っていく形で面的に広がっている点も特徴である。 (参考:世田谷区公式ホームページ「プレーパーク」、生活工房「プレーバック、プレーパーク!」)
住民運動を「制度」に着地させる経路
この事例は、住民の自発的な遊び場づくりを、行政の記念事業採択(国際児童年)を入口に常設事業化し、最終的にNPO法人による複数拠点の一括受託へと発展させた、明確な制度化の経路を示している。住民の熱量を一過性のイベントで終わらせず、場・資金・運営の役割を分けて継続の仕組みに落とし込む考え方は、公園活用や居場所づくりを検討する自治体・団体にとって再現性のあるモデルとなりうる。ただし、行政の記念事業という「きっかけ」に依存した部分もあり、そうした好機がない地域でどう常設化の入口を設計するかは、応用にあたっての検討点となる。
担い手の「二層構造」で質と地域性を両立させる
専門職のプレーワーカーと地域の世話人を分けた運営は、属人的な善意だけに頼らず、かつ地域から切り離された行政サービスにもしない中間解として参考になる。リスクを伴う遊びを安全に成立させるには専門性が要り、地域に根づかせるには住民の参加が要る——この二つを別々の担い手に割り当てる発想は、遊び場に限らず、公共空間の住民運営一般に応用できる。
委託依存からの脱却と持続可能性
行政委託を主収入とする団体は、委託条件や予算に経営が左右されやすい。本事例が経営危機を機に、現場のノウハウを研修事業という別の柱へ転換して収益を多角化した経緯は、同種の委託型NPOにとって具体的な打ち手を示す。「現場を持つこと」自体が知の源泉となり、それを外部に提供する事業に育てうるという視点は、公共サービスの担い手の自立を考えるうえで有用である。
地域力の変化という共通課題
一方で、世話人という住民の担い手に支えられる仕組みは、かつて地域活動を支えた層のライフスタイル変化(共働き世帯の増加など)により、担い手確保が難しくなるという構造的課題も抱える。住民参加型の運営を長く続けるには、担い手の世代交代や新たな参加層の開拓をどう設計するかが不可欠であり、この点は住民運営に取り組むあらゆる地域に共通する論点である。 (参考:HILIFE 都市の鍼治療データベース「羽根木プレーパーク」、NPO法人プレーパークせたがや「これまでの歩み」)
2026年7月時点の調査内容に基づいて作成
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