
世田谷パブリックシアター『地域の物語2025』市民参加型演劇
世田谷パブリックシアターが1997年の開場以来続ける市民参加型演劇プロジェクト『地域の物語』。2025年は「私たちは、他者とどう生きるのか?」をテーマに、演劇未経験の区民が対話を重ねて作品を立ち上げ、多世代が集う場を創出した。文化施設が担う対話とコミュニティ形成の事例。
「地域の物語」は、東京都世田谷区の三軒茶屋にある公共劇場・世田谷パブリックシアターが、1997年の開場以来毎年継続している市民参加型の演劇プロジェクトである。台本のないところから集まった一般の参加者が、自分や周囲の人々の思いや生活、あるいは現在進行形の社会問題を出発点に、ワークショップを重ねながら既成の演劇の型にはまらない作品を立ち上げ、シアタートラムの舞台で上演する。 (参考:地域の物語2025ワークショップ「20代・30代編」(世田谷パブリックシアター)、地域の物語2026ワークショップ(世田谷パブリックシアター))
2025年は「私たちは、他者とどう生きるのか?」をテーマに掲げ、二つの形態で実施された。ひとつは20〜39歳を対象に2〜3月にかけて全9回を重ねる長期ワークショップ「20代・30代編」、もうひとつは最終日の2025年3月23日に多世代が一日限りで集う「だれでも編」である。演劇の完成度そのものよりも、参加者どうしが対話を重ねて他者を理解しようとするプロセスに主眼が置かれている点に特徴がある。 (参考:地域の物語2025ワークショップ「20代・30代編」(世田谷パブリックシアター)、地域の物語2025ワークショップ「だれでも編」(世田谷パブリックシアター))
世田谷パブリックシアターは、公益財団法人せたがや文化財団が運営する公共劇場で、1997年4月にキャロットタワー内に開場した。施設は二つの劇場で構成され、主劇場は約600席、小劇場のシアタートラムは最大248席を備える。同劇場は舞台作品の創作と上演を担う「公演事業」に加え、区民が演劇に触れその手法を暮らしや学びに生かせるようにする「学芸事業」を両輪としており、「地域の物語」は後者を代表するプログラムに位置づけられる。 (参考:世田谷パブリックシアター(Wikipedia)、世田谷パブリックシアター 公式サイト)
公共の文化施設は、しばしば「鑑賞の場」にとどまり、住民が受け身の観客としてしか関わらないという課題を抱える。「地域の物語」はこの構図に対し、開場当初から住民自身が演じ手・つくり手となる仕組みを組み込み、劇場を地域コミュニティの対話の場へと開こうとしてきた。これまで「結婚」「介助と介護」「生と性」「家族」「老い」「看取り」など、生活に密着した切実なテーマを毎年設定してきたのは、演劇を通じて言葉になりにくい経験を分かち合う回路をつくるためである。 (参考:地域の物語2023ワークショップ「看取りをめぐる物語」(世田谷パブリックシアター))
2025年のテーマ「私たちは、他者とどう生きるのか?」は、恋人・友人・家族・職場など身近な関係のなかで20代・30代が抱きがちな不安やモヤモヤを起点に、価値観や背景の異なる他者とどう共に生きるかという問いへと広げるものである。世代・国籍・性自認・障害の有無で分断が生じやすい社会状況を背景に、「わかり合えないこと」を前提にしたうえで、それでも共存の手がかりを探ることが目指された。 (参考:地域の物語2025ワークショップ「だれでも編」(世田谷パブリックシアター))
「地域の物語」のワークショップは、テーマに関心を持って集まった参加者が対話を重ね、その内容をもとに全員で一つの演劇をつくりあげる方式をとる。演劇経験の有無は問われず、参加者の実体験が創作の素材になる。 (参考:地域の物語2024ワークショップ(こここ)、地域の物語2023ワークショップ「看取りをめぐる物語」(世田谷パブリックシアター))
2025年の中核となった「20代・30代編」は、2月9日から3月22日にかけて全9回のワークショップを重ねた(各回おおむね14〜18時、最終盤の3月22日は長時間の集中回)。定員は20名程度、対象は20〜39歳で、テーマについて考えたい人であれば演劇未経験でも参加できる。進行役は、演出家の金谷奈緒(青山ねりもの協会)と、俳優・ワークショップファシリテーターのすずきこーた(演劇デザインギルド)が務めた。参加者は他者との関係性をめぐる自らの経験を対話で持ち寄り、それを身体表現・演劇へと変換していった。 (参考:地域の物語2025ワークショップ「20代・30代編」(世田谷パブリックシアター))
最終日の2025年3月23日には、多世代に開かれた「だれでも編」がシアタートラムで開催された(13〜17時、参加費1,000円、定員約30名)。これは「20代・30代編」でつくられた劇を出発点に、そこへ幅広い世代が加わって、異なる世代が互いの共通点と相違点を受け入れ合う場をつくる試みである。国籍や年齢、性のあり方、障害の有無、演劇経験の有無にかかわらず参加でき、20代・30代編が10,000円(経済的事情がある場合は相談可)と一定のコミットメントを求めるのに対し、こちらは一日・低額で誰でも入りやすい設計とされた。 (参考:地域の物語2025ワークショップ「だれでも編」(世田谷パブリックシアター)、地域の物語2025ワークショップ「20代・30代編」(世田谷パブリックシアター))
第一の特徴は、単発のイベントではなく、1997年の開場以来四半世紀を超えて毎年続く継続事業だという点である。長い実施のなかで「台本のない状態から全員で演劇を立ち上げる」という方法論が劇場に蓄積されており、進行役となる演劇人が年によって替わっても事業は途切れず続いてきた。特定の個人に依存しない運営の枠組みが機能してきたことがうかがえる。 (参考:地域の物語2026ワークショップ(世田谷パブリックシアター))
第二に、参加のハードルを段階化した二層構造がある。長期にじっくり取り組む「20代・30代編」と、一日で誰でも参加できる「だれでも編」を組み合わせることで、深く関わりたい人と気軽に触れたい人の双方に入口を用意している。前者で立ち上げた作品を後者で多世代に開くという接続によって、限られた参加者の成果を地域へ還元する導線も設計されている。 (参考:地域の物語2025ワークショップ「だれでも編」(世田谷パブリックシアター))
第三に、扱うテーマが一貫して「生活に根ざした社会的な問い」である点が挙げられる。結婚・介護・看取り・老い、そして2024年の「コロナの日々をふりかえる」、2025年の「他者とどう生きるのか」と、参加者自身が当事者性を持って向き合える題材が選ばれ、演劇という手法が私的な経験を他者と共有可能な物語へと翻訳する役割を果たしている。経済的事情への配慮や、性自認・国籍・障害の有無を問わない参加要件など、包摂性を明示している点も一貫している。 (参考:地域の物語2024ワークショップ(こここ)、地域の物語2025ワークショップ「20代・30代編」(世田谷パブリックシアター)、地域の物語2025ワークショップ「だれでも編」(世田谷パブリックシアター))
最も明確な成果は、プログラムが27年以上にわたり途切れず継続し、例年3月にシアタートラムでの発表へと結実してきたという事実そのものである。2025年度も「20代・30代編」(定員約20名)と「だれでも編」(定員約30名)の二本立てで実施され、翌2026年もテーマを「劇場は広場」を出発点とする#演劇・#広場・#公園・#駅・#道・#ショッピングモールなどのキーワード群へと発展させ、2026年1〜3月に14回の集中講座と発表会を予定している。文化施設の営みが、まちの公共空間そのものへと問いを広げていることがうかがえる。 (参考:地域の物語2026ワークショップ(世田谷パブリックシアター)、地域の物語2025ワークショップ「20代・30代編」(世田谷パブリックシアター))
同劇場が積み重ねてきた「演劇を地域社会で活用する」という学芸事業の手法は、教育行政にも接続している。世田谷パブリックシアターは2003年から「かなりゴキゲンなワークショップ巡回団」として区内小中学校で演劇ワークショップを展開し、世田谷区が2004年に内閣府から「世田谷『日本語』教育特区」の認定を受け2007年度に開始した教科「日本語」では、同劇場の実践をモデルとした「表現」の単元が導入された。学校向け事業では2013年度に31校・246回・延べ8,532人が参加した記録がある。これらは「地域の物語」そのものの数値ではないが、同じ学芸事業の系譜として、劇場が持つ手法が公的制度に定着してきたことを示す。 (参考:「学校は演劇ワークショップをどう活用するのか?」(制作ニュース))
一方で、「地域の物語」については、参加者の意識変化やコミュニティへの効果を測る定量的な評価データは公表されておらず、成果は主に事業の継続性・制度的定着・設計の洗練として観察される点には留意が必要である。 (参考:地域の物語2025ワークショップ「だれでも編」(世田谷パブリックシアター))
第一に、公共ホールや劇場、文化施設を持つ自治体にとって、施設を「鑑賞の箱」から「住民が主体的に参加し対話する場」へと転換する具体的なモデルになる。鑑賞事業と並行して住民自身がつくり手になるプログラムを常設することで、文化施設が地域コミュニティ形成の拠点として機能しうることを示している。
第二に、継続そのものが資産になるという教訓である。単年度のイベントを重ねるのではなく、方法論を蓄積する長期プログラムとして設計することで、担い手が替わっても質を保ちやすくなる。進行役を外部の演劇人に委ねつつ運営組織が枠組みを保持する体制は、属人性を避けた再現可能な運営の参考になる。
第三に、参加のハードルを段階化する設計思想が応用可能である。深く関わる長期コースと、一日・低額で誰でも入れる開放的な機会を組み合わせ、経済的事情への配慮や多様な属性の受け入れを明示することは、まちづくりの参加型ワークショップ全般に転用できる包摂設計といえる。
第四に、テーマ設定の考え方が示唆に富む。介護・看取り・世代間の共生といった、住民が当事者として向き合える社会的な問いを題材に選ぶことで、参加の動機づけと社会的意義を接続できる。さらに2026年に「劇場は広場」を掲げ広場・公園・駅・道といった公共空間へ視野を広げているように、文化・芸術の手法をまちの空間や公共性の議論へとつなげる発想は、都市デザインやまちづくりの現場が文化施設と協働する際の入口になりうる。 (参考:地域の物語2026ワークショップ(世田谷パブリックシアター))
2026年07月時点の調査内容に基づいて作成
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