
長野市地域おこし協力隊(信更地区)りんご農家後継者育成プロジェクト
後継者不在のりんご園と地域の菓子製造グループを組み合わせ、地域おこし協力隊員を3年間で独立就農者へ育てる長野市信更地区のミッション設計事例。着任から独立就農までの技術継承・新商品開発・広域ネットワーク形成の実態を追跡した。
長野市は、後継者不足で存続が危ぶまれる中山間地域の果樹園に地域外の人材を呼び込むため、2023年9月採用の「地域おこし協力隊」信更地区担当のミッションとして、「高齢化で栽培継続が困難になったりんご園の継承」と「地元の菓子製造グループが手がけるアップルパイ事業の販路拡大・新商品開発」を組み合わせて制度設計した。単に栽培技術を引き継がせるだけでなく、既存の加工グループと競合しない新たな商品化・販路開拓の役割をあわせて担わせる点が、このミッション設計の特徴である。 (参考:令和5年(9月採用)長野市地域おこし協力隊員募集要領 - らくえん信州)
このミッションに応募し着任した梅野大樹氏(神奈川県出身)は、地元農家を「師匠」として3年間りんご栽培を一から習得しながら、マルシェ出店による直売網の構築や、既存の菓子製造グループと競合しない新商品(品種別りんごジュース、りんごチップス等)の開発に取り組んだ。長野市の公式PRサイトで2年以上にわたり継続的に活動が発信されており、着任から独立就農に至るまでの過程が第三者にも追跡可能な形で記録されている点が、この事例を検証する上での特徴となっている。 (参考:長野市地域おこし協力隊 梅野大樹 プロフィール - ながのシティプロモーション、最近の畑での出来事 - ながのシティプロモーション)
信更地区は、1956年に旧・信田村と更府村が合併して信更村となり、1966年に長野市へ編入された長野市南西部の中山間地域である。2013年時点の人口は2,360人にとどまり、標高差を活かした寒暖差の大きい気候条件を背景に、地域ブランド「やまのぶりんご」の産地として知られてきた。高齢化の進行は学校統廃合という形にも表れており、2023年に信更中学校が、続く2024年には信更小学校も閉校し、地区内の義務教育機関はすべて姿を消している。この事実は、人口減少の実態を象徴している。 (参考:信更 - Wikipedia、信更小学校・中学校がすべて閉校 長野市信更地区で何が起きたのか? - 長野県の学校研究室、「りんごの里信更」あっぷる工房 アップルパイ通年販売へ - JA長野県グループ いいJAん!信州)
長野市自身、地域おこし協力隊の募集要領において「人口減少や高齢化等の進行が著しい本市の中山間地域の活性化、及び後継者不足や耕作放棄地が課題となっている本市の農業振興」を制度の目的に明記しており、りんご産地としての強みを持ちながらも、栽培を担う人材の高齢化と耕作放棄地の増加という構造的課題を抱えていたことがうかがえる。 (参考:令和5年(9月採用)長野市地域おこし協力隊員募集要領 - らくえん信州)
信更地区には、2018年に地域住民の有志が開設した菓子製造施設「あっぷる工房」(りんごの里信更)が既に存在していた。規格外のりんごを活用してアップルパイを製造・販売する取り組みで、当初は収穫期にあわせた11月から4月までの季節販売が中心だった。地域おこし協力隊のミッションは、このあっぷる工房の販路拡大と新商品開発を明示的に含めており、ゼロから事業を立ち上げるのではなく、既存の地域資源を土台にした制度設計となっていた。 (参考:「りんごの里信更」あっぷる工房 アップルパイ通年販売へ - JA長野県グループ いいJAん!信州)
長野市は同時期(令和5年9月採用)に、信更・若穂・篠ノ井(信里)・鬼無里・信州新町の5地区で各1名、地域資源を担い手とセットにした地域おこし協力隊員を募集している。信更地区のミッションは「“やまのぶ”りんごの栽培」(高齢化で栽培困難になった畑をベテラン農家の指導のもとで引き継ぐ)と「あっぷるパイの販路拡大とりんごを使った新商品の開発・販売」の2本柱として明文化されており、栽培技術の継承と商品化・販路開拓を最初から役割分担する設計だったことがわかる。 (参考:令和5年(9月採用)長野市地域おこし協力隊員募集要領 - らくえん信州)
募集要領は、正式応募の前提条件として、長野市が令和5年3〜4月に実施する事前体験プログラム「おためし地域おこし協力隊」への参加を求めており、居住地の市内異動や50歳未満といった年齢条件もあわせて課していた。着任前に地域と応募者の相互理解を確認する段階を制度に組み込むことで、着任後の早期離脱リスクを下げる仕組みとなっている。梅野氏はこの募集に応募し、2023年9月に信更地区担当として着任した。 (参考:令和5年(9月採用)長野市地域おこし協力隊員募集要領 - らくえん信州、長野市地域おこし協力隊 梅野大樹 プロフィール - ながのシティプロモーション)
着任直後から特定の農家を「師匠」として、葉摘み・剪定・粗皮削り・腐らん病の治療など、りんご栽培の基礎作業を一つひとつ教わる形で技術を習得していった。1年目は師匠の指示に従って作業するだけだったが、2年目の冬(2024年末)には初めて自分の担当区画に苗木を植える機会を得て、200本の苗木を任されるまでに管理範囲が拡大した。 (参考:本年も宜しくお願い致します(信更地区 梅野) - ながのシティプロモーション、はじまりの日 - ながのシティプロモーション、りんごの木と2回目の冬 - ながのシティプロモーション)
菓子・加工用途で需要のある酸味の強い品種「グラニースミス」を既存の木に接ぎ木で導入し、収穫まで年数のかかる苗木からの新規植樹より早く商品化できる体制を整えた。あわせて、収穫したりんごを品種ごとに絞ったオリジナルラベル入りのストレートジュースを商品化し、地域の若者就労支援施設「学び舎めぶき」とのコラボレーションでりんごチップスの製造も実現した。これらは、既存のあっぷる工房が手がけるアップルパイ事業とは異なる商品ラインであり、新規参入者が既存の生産者・加工グループと商圏を奪い合わずに独自の付加価値を築く形になっている。 (参考:2024年4月22日号(信更地区 梅野) - ながのシティプロモーション、2024年2月22日号(信更地区 梅野) - ながのシティプロモーション)
直売の場として、県庁ロビーでの「県庁マルシェ」、市役所での「さくらマルシェ」、長野駅前の「長野銀座にぎわい市」など、性格の異なる複数のマルシェに継続的に出店し、来場者層ごとの売れ筋の違いを検証しながら出店を重ねた。2024年2月には都内で開催された「全国地域おこし協力隊サミット」に参加し、そこで知り合った青森県弘前市相馬村の協力隊員と、互いの産地のりんごを送り合う企画を実施。コロナ禍で中断していたものを2024年に”収穫祭”としてリニューアルし復活させた信更町の収穫祭では、相馬村から届いたりんごを「長野VS青森」と銘打って販売し、来場者700人という反響を得た。 (参考:マルシェ出店のふりかえり - ながのシティプロモーション、2024年12月13日号(信更地区 梅野) - ながのシティプロモーション)
栽培規模の拡大にともない、雹害への対応が繰り返し課題となった。2025年6月には隣接地区の農家の被害を視察して雹害の経済的影響(消毒費用の倍増、単価下落)を学び、同年7月には自身の圃場でも雹害を経験している。傷のついたりんごを廃棄せず、専用の芯抜き道具を使って早朝から傷部分を取り除きジュース加工に回す運用を確立し、地域の温浴施設への納入につなげた。また、収穫したりんごを使ったジュースをふるさと納税の返礼品に登録したところ、在庫が想定より早く尽きて掲載開始から1週間で受付終了となる事態も経験している。 (参考:自然の脅威、偉大さを知る出来事 - ながのシティプロモーション、雹害傷のりんごたち 信更地区より - ながのシティプロモーション)
多くの後継者不足対策は、耕作放棄地の解消や栽培技術の継承そのものを目的にしがちである。この事例では、募集要領の段階で「栽培の継承」と「既存加工グループの販路拡大・新商品開発」を明確に切り分けてミッション化していた。結果として、着任者は既存の生産者・加工グループの領域を侵さずに、接ぎ木による新品種導入やジュース・チップスといった独自の商品ラインを開拓する余地を最初から与えられていた。
初年度は師匠の指示のもとでの作業にとどまり、2年目に自分の区画(200本)を任され、3年目には独立を見据えて管理面積をさらに拡大するというように、責任と裁量が3年間で段階的に引き上げられていった。いきなり独立経営を任せるのではなく、失敗の影響が限定的な小規模区画から始めて経験を積ませる設計は、新規就農支援における実務的なリスク低減策になっている。
都内で開催される全国規模の協力隊サミットへの参加を、単なる研修や交流にとどめず、青森県相馬村とのりんご相互送付という具体的な産地間コラボレーション企画に転用した点は、単独の自治体・地区では生まれにくい広域連携の作り方として特徴的である。
長野市の公式PRサイトでは、剪定に失敗して枝を折った、防寒対策のタイミングを誤った、病害の治療法が効かなかったといった失敗も含めて、2年以上にわたり月1回前後のペースで活動が発信され続けている。成功事例のみを強調しない継続的な発信のあり方は、移住・定住を検討する層に対して実態に即した情報を提供する手法として参考になる。
2023年9月の着任から、任期満了となる2026年8月末に向けて、栽培技術の習得から自己所有区画の運営までを段階的に経験した。2026年7月末時点の本人の発信では、「協力隊を卒業して農家になる、という意味では目標を達成した」と振り返っており、当初のミッションであった独立就農という目標は達成されたことが確認できる。ただし本人は、真に独立した経営者としての技術習得には引き続き時間がかかるとも述べている。 (参考:最近の畑での出来事 - ながのシティプロモーション)
グラニースミスの接ぎ木による新品種の導入、品種別オリジナルラベルのりんごジュース、地域の就労支援施設とのコラボによるりんごチップスなど、複数の新商品を実際に商品化・販売するところまで到達した。ふるさと納税返礼品への登録も実現し、需要が供給を上回るかたちで早期に受付終了となるなど、一定の商品力が確認されている。 (参考:自然の脅威、偉大さを知る出来事 - ながのシティプロモーション)
全国協力隊サミットをきっかけにした青森県相馬村との産地間交流は、2024年に復活した信更町収穫祭(来場者700人)での“長野VS青森”企画という具体的な形で地域行事に還元された。単独の隊員活動が、地区の主要行事の集客・話題づくりに寄与した事例といえる。 (参考:2024年12月13日号(信更地区 梅野) - ながのシティプロモーション)
一方で、栽培規模の拡大にともなう雹害の頻発は、任期を通じて継続的な課題であり続けた。また2026年7月には、それまで見られなかったイノシシが圃場周辺で初めて確認されており、鳥獣被害という新たなリスクが任期終盤になって顕在化している。着任時のプロフィールでは狩猟免許取得への意欲も語られていたが、2年以上にわたる本人の活動記録の範囲では、その具体的な着手は確認できず、実際の活動は栽培継承と商品化・販路開拓に集中していた。 (参考:最近の畑での出来事 - ながのシティプロモーション)
後継者不足に悩む一次産業の担い手誘致では、栽培・生産技術の継承だけでなく、商品化・販路開拓の役割をあわせてミッションに明記することで、着任者が既存の生産者・加工グループと競合せずに独自の価値を作れる余地を用意できる。単一品目の技術継承のみを掲げるミッション設計と比べ、新規参入者と既存コミュニティの間に軋轢を生みにくい設計として、他地域の担い手誘致策にも応用可能である。
正式応募の前提として、短期間の「おためし協力隊」への参加を必須化する仕組みは、着任後の早期離脱という協力隊制度共通の課題に対する実務的な対策である。移住・定住施策を設計する自治体にとって、本格導入の前に低コストな体験機会を組み込む発想は、農業以外の分野にも転用しやすい。
一地区・一自治体だけでは生み出しにくい話題性や連携先を、全国規模の協力隊間ネットワーキングイベントを通じて獲得し、産地間の相互送付企画のような具体的な事業に落とし込んだ点は、単独自治体のリソースの限界を補う手法として参考になる。
初年度は指示のもとでの作業、2年目に小規模な自己所有区画、3年目に独立に向けた規模拡大という3段階の設計は、協力隊制度に限らず、新規就農支援全般に応用可能なリスク低減モデルである。いきなり独立採算を求めるのではなく、失敗の影響を限定した小さな単位から経験を積ませる設計は、担い手育成の再現性を高める。
着任時に語られた抱負(狩猟免許取得による鳥獣害対策への参加)が、その後の2年以上の活動記録では具体化しなかった一方、当初ミッションに明記されていた栽培継承と商品開発は着実に実行され目標達成に至った。これは、着任時の意欲的な抱負とミッションとして明文化された役割にギャップがある場合、実際に進捗するのは制度として明確に設計・支援された役割である可能性を示唆している。他地域で同様の担い手誘致策を設計する際は、着任者個人の意欲に委ねる項目と、制度として明確にミッション化し支援体制を整える項目を区別することが、実行可能性を高める上で重要と考えられる。
2026年8月時点の調査内容に基づいて作成
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