
建築物不燃化助成(防災都市づくり推進計画・整備地域12地区)
杉並区は2012年度から、東京都の整備地域に指定された区内12地区で耐火・準耐火建築物への建替えを支援する不燃化助成を実施してきたが、利用件数は3年連続で減少した。2025年の住民参加型ワークショップを経て、2026年度に対象地域の定義と申請手続きを刷新した。
杉並区は2012年度(平成24年度)から、木造住宅密集地域を中心とする指定区域内で、耐火性能の高い建築物への建替えに定額の助成を行う「建築物不燃化助成」を実施している。対象区域は、東京都の「防災都市づくり推進計画」で震災時の被害が大きいと見込まれる区域として「整備地域」に指定された阿佐谷北、天沼、本天沼、高円寺北、成田東、梅里、松ノ木、堀ノ内、和泉、下高井戸、松庵、西荻南の12地区で、準耐火建築物・耐火建築物のいずれに建て替えるかに応じて2段階の定額助成を設けている。 (参考:建築物不燃化助成|杉並区)
同じ杉並区内でも、老朽建築物の除却費助成や固定資産税減免まで備える「不燃化特区」(杉並第六小学校周辺地区・方南一丁目地区)はより手厚い支援区域として別枠で運用されており、本助成はそれに次ぐ、区内の広い範囲をカバーする基礎的な不燃化促進策と位置づけられる。 (参考:不燃化特区に関する支援制度|杉並区)
制度開始から10年余りが経過した2023年度には対象区域を拡大して利用促進を図ったが、助成件数はかえって減少を続けた。この状況を受け、杉並区は2025年に住民参加型のワークショップを開催して制度を再検討し、2026年度から対象区域の定義や申請手続きを見直した新制度に移行している。 (参考:令和6年度杉並区事務事業評価シート|杉並区、火に強い家づくりワークショップを開催しました|すぎなみボイス、火に強い家づくり助成をリニューアルします|すぎなみボイス)
木造住宅密集地域は、狭あい道路や行き止まり道路が多く消防活動や避難が難しいこと、老朽木造建物の密集により延焼が拡大しやすいことが共通の課題とされる。東京都は「防災都市づくり推進計画」で震災時の被害想定に基づき区市町村内に「整備地域」を指定しており、そのうち特に危険度の高い一部区域を「重点整備地域」として道路拡幅や公園整備を伴う集中的な事業を実施する一方、それ以外の「整備地域」では個別の建替えを金銭的に後押しする助成制度が中心的な対応手段となる。 (参考:防災都市づくり推進計画|東京都都市整備局)
杉並区内では、阿佐谷南・高円寺南地区の一部である杉並第六小学校周辺地区と、方南一丁目地区が重点整備地域(不燃化特区)の指定を受け、道路拡幅・公園整備・除却助成・税制優遇を組み合わせた20年規模の面的整備を進めている。これに対し、本助成の対象である阿佐谷北・天沼・本天沼など12地区は同じ「整備地域」でありながら重点整備地域の指定は受けておらず、区独自の防災まちづくり計画も持たない。道路や公園の基盤整備という選択肢を欠くこの12地区にとって、不燃化の進捗は実質的に建築物不燃化助成という一つの金銭的インセンティブの効果にかかっている。 (参考:阿佐谷南・高円寺南地区のまちづくり|杉並区、方南一丁目地区のまちづくり|杉並区)
しかし、その助成の利用は伸び悩んでいた。2021年度に90件あった助成件数は、2022年度52件、2023年度28件(目標145件に対し達成率19.3%)と3年連続で減少し、2023年度は対象区域の拡大に合わせて目標も引き上げたが、それにもかかわらず実績は目標を大きく下回る結果となった。杉並区はその要因として、建築資材の高騰による建替え工事そのものの減少に加え、耐火建築物等に適用される建ぺい率緩和の利用が進んだことで、助成を受けずとも不燃化建替えが成立するケースが増えていることを挙げている。単一の金銭的インセンティブに依存する政策手段の限界が、数値として表れた事例といえる。 (参考:令和6年度杉並区事務事業評価シート|杉並区)
1. 制度創設と対象区域の設定(2012年度~)
建築物不燃化助成は2012年度(平成24年度)に創設された。対象建築物は、準耐火建築物または耐火建築物であること、建築工事に要する費用が500万円を下回らないこと、耐火建築物等に適用される建ぺい率緩和を利用していないこと、接道要件を満たすことなど複数の条件を満たす必要があり、助成額は準耐火建築物と耐火建築物とで2段階の定額が設定されている。制度開始から2025年度までは、震災救援所(区立小中学校)の敷地境界線および区が指定する緊急道路障害物除去路線の道路境界線からそれぞれ10メートル以内の敷地を対象区域とする、拠点・路線からの距離を基準とした区域設定がとられていた。 (参考:建築物不燃化助成|杉並区、火に強い家づくりの取組み|すぎなみボイス)
2. 対象区域の拡大と周知強化(2023年度)
2023年度(令和5年度)、区は対象区域を拡大するとともに、年間の助成件数目標を70件から145件へと倍増させた。あわせて対象区域内の各世帯にチラシを配布したほか、区が公開するGISマップ上で対象区域を示すなど、制度の認知度を高める周知策を強化している。 (参考:令和6年度杉並区事務事業評価シート|杉並区)
3. 実績の伸び悩みと要因分析
区域拡大と目標引き上げにもかかわらず、2023年度の助成実績は28件にとどまり、目標に対する達成率は19.3%に低下した。前年度52件、前々年度90件からの3年連続の減少である。区は事務事業評価の中で、建築資材の高騰による建替え件数そのものの減少と、耐火建築物等の建ぺい率緩和利用の広がりを要因として分析している。 (参考:令和6年度杉並区事務事業評価シート|杉並区)
4. 住民参加型ワークショップによる制度の再検討(2025年)
現行制度が当初の枠組みの区切りを迎える時期を控え、区は新たな支援制度の設計に住民参加のプロセスを組み込んだ。まず制度についてのアイディアを事前に募集したところ23件の投稿が集まり、「火に強い家への耐火助成」の継続を支持する意見が41.7%、「耐火リフォームへの助成」が16.7%で続いた。続いて2025年6月14日と7月5日の2日間、阿佐谷地域区民センターで住民参加型ワークショップを開催し、区内在住で両日参加可能な公募区民33名が参加した。ワークショップでは専門家による講演のほか、新たな支援メニューについての意見交換、参加者がゲーム形式のカードを使いながら新たな支援メニューの案を出し合うセッションが組まれ、出されたアイディアは既存制度の利用者や有識者から寄せられた意見とあわせて新制度の設計に反映された。 (参考:火に強い家づくりワークショップ開催のお知らせ|すぎなみボイス、火に強い家づくりワークショップを開催しました|すぎなみボイス)
5. 制度リニューアルと関連施策の追加(2026年度~)
2026年度(令和8年度)から、区は建築物不燃化助成を含む4つの取組みを開始した。第一に建築物不燃化助成そのものをリニューアルし、対象区域を東京都の整備地域に位置づけられる12地区という面的な区域定義に改め、申請書類の提出回数を削減するなど手続きを簡素化したうえで、助成期間を2031年3月末まで設定し直した。第二に、これまで一部地域に限っていた無料の建替え相談会を杉並区内全体に対象を広げ、一級建築士とファイナンシャルプランナーが年4回のペースで相談に応じる体制とした。第三に、木密地域の不燃化の進捗を示す不燃領域率を区のホームページで見える化する取組みを予定している。第四に、ワークショップで関心の高さがうかがえた建築規制の「ルール化」についても、アンケート調査を行ったうえで検討を進めるとしている。 (参考:火に強い家づくり助成をリニューアルします|すぎなみボイス)
助成対象地域が「点・線」から「面」の定義に転換した
2025年度まで、この助成の対象区域は震災救援所や緊急道路の境界線から10メートル以内という、拠点・路線からの距離を基準とした区域設定だった。2026年度のリニューアルでは、これを東京都の整備地域に指定された12の町丁目という面的なエリア定義に切り替えている。対象敷地の境界が分かりにくいという住民側の不便さを解消するとともに、行政にとっても対象地域の周知やGISでの表示がしやすくなる区域設定への転換であり、同種の距離基準型の助成制度を運用する他自治体にとっても参考になりうる見直しの方向性である。
重点整備地域を持たない広域エリアの不燃化を、金銭的インセンティブ単独で担う設計
杉並区内では阿佐谷南・高円寺南地区と方南一丁目地区が重点整備地域(不燃化特区)に指定され、道路拡幅や公園整備を伴う面的な事業が20年規模で進められている。これに対し、本助成の対象である12地区は同じ「整備地域」でありながら重点整備地域の指定を受けておらず、区独自の防災まちづくり計画も持たない。道路や公園の基盤整備という選択肢を欠くこの12地区にとって、建替え時の金銭的インセンティブと相談支援は不燃化を進めるほぼ唯一の政策手段であり、助成件数の伸び悩みがそのまま地域の不燃化の停滞につながりやすいという構造的な脆弱性を抱えている。
制度設計に住民参加のワークショップを組み込んだプロセス
助成件数が3年連続で減少するなかで、区は助成額を引き上げるという直接的な対応ではなく、事前意見募集とワークショップを通じて住民自身に新たな支援メニューを考えてもらうプロセスを採用した。参加者同士がゲーム形式のカードを使って新たな支援メニュー案を出し合うセッションを設けた点は、行政が一方的に制度を設計するのではなく、対象者となる住民の当事者意識を高めながら制度の実効性を検証する手法として特徴的である。ワークショップで得られた意見は、既存制度の利用者や有識者の意見とともに新制度に反映されており、単発のイベントで終わらせず設計プロセスに組み込んでいる点も特徴といえる。
助成件数は3年連続で減少し、対象区域拡大後も目標を大きく下回った
2021年度に90件だった助成件数は、2022年度52件、2023年度28件と減少を続けた。2023年度は対象区域の拡大とあわせて目標値を70件から145件に引き上げていたため、達成率は19.3%まで低下している。区はこの要因として建築資材の高騰による建替え件数そのものの減少と、耐火建築物等に適用される建ぺい率緩和の利用拡大を挙げており、助成件数という活動量の指標だけでは地域の不燃化がどの程度進んでいるかを正確に把握しづらい状況が生じていたと言える。 (参考:令和6年度杉並区事務事業評価シート|杉並区)
住民参加のプロセスは一定の参加規模を確保した
事前の意見募集には23件の投稿が寄せられ、耐火助成の継続を求める意見が4割超(41.7%)を占めた。ワークショップには2日間で公募区民33名が参加し、講演・意見交換・カードゲーム形式でのメニュー作成という3段階のプログラムを完走した。行政が単独で決めた制度改定ではなく、意見募集とワークショップという2段階の住民関与を経て2026年度の新制度に反映されたプロセスそのものが、調査時点で確認できる具体的な成果である。 (参考:火に強い家づくりワークショップを開催しました|すぎなみボイス)
2026年度の制度変更は実施が決定済みだが、効果はまだ検証されていない
2026年4月からの新制度では、対象区域の面的な再定義、申請手続きの簡素化、無料相談会の区内全域への拡大が実施に移されている。一方、木密地域の不燃領域率を区ホームページで見える化する取組みや、建築規制の「ルール化」の検討は、調査時点ではまだ着手段階であり、具体的な内容や効果は今後の展開を待つ必要がある。新制度のもとで助成件数の減少傾向に歯止めがかかるかどうかも、2026年度以降の実績を待って評価される。 (参考:火に強い家づくり助成をリニューアルします|すぎなみボイス)
金銭的インセンティブの「効果逓減」は、規制側の制度変更が原因になりうる
杉並区が助成件数の伸び悩みの要因として挙げた「建ぺい率緩和の利用拡大」は、不燃化という政策目的自体は別の手段(規制緩和インセンティブ)によって達成されつつも、当該助成の利用件数という指標は悪化するという構図を示している。建替え促進の手段として金銭的助成と規制緩和インセンティブを併用している自治体では、助成件数の増減だけで政策の成否を判断すると評価を誤る可能性がある。不燃領域率のような地域の状態を示す指標と、助成件数のような行政の関与量を示す指標を切り分けて管理する必要性は、他の木密地域対策にも共通する教訓である。
対象区域を「拠点・路線からの距離」ではなく「面」で定義し直す選択肢
震災救援所や緊急道路からの距離を基準に対象区域を定める方式は、境界の分かりにくさや対象地の細切れ化を招きやすい。杉並区が2026年度に採用した、都道府県が指定する整備地域という既存の面的な単位に対象区域を合わせる方式は、住民への説明のしやすさや行政側の地図表示のしやすさの両面で運用コストを下げる。同種の距離基準型の助成制度を持つ自治体にとって、対象区域の再定義は助成額の見直しより先に検討する価値がある選択肢である。
重点地域に指定されない「その他大勢」のエリアにこそ、制度の使い勝手の改善が効いてくる
道路拡幅や公園整備を伴う重点的な事業は、対象を絞り込んだ一部地域でしか展開できない。杉並区の12地区のように、重点整備地域の指定を受けず基盤整備の恩恵を受けにくい広範なエリアでは、金銭的インセンティブと相談支援の使い勝手そのものが不燃化の進捗を左右する。手続きの簡素化や相談体制の拡充といった一見地味な運用改善が、基盤整備を伴わないエリアでは相対的に大きな意味を持つ。
制度の伸び悩みを住民参加のワークショップで検討するプロセスは再現可能である
助成件数の減少という定量的な兆候を受けて、区は担当課の判断だけで助成額を調整するのではなく、事前意見募集とワークショップという2段階のプロセスで住民の意見を集めた。カードゲーム形式のワークショップという手法自体に地域固有の前提は必要なく、公募による参加者募集、専門家講演、意見交換、メニュー作成という一連の流れは、老朽建築物の建替え支援に限らず、利用が伸び悩む金銭的インセンティブ制度全般の見直しプロセスとして他自治体でも再現可能な設計である。
2026年8月時点の調査内容に基づいて作成
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