
杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)改定
杉並区は2023年3月、新区長のもとでまちづくり基本方針(都市計画マスタープラン)を改定した。前区政下で進んだ都市計画道路計画をめぐり住民の賛否が対立するなか、2段階のパブリックコメントを経て事業認可の有無で対応を区分する方針へ転換し、改定後も対話の場を制度化した事例。
杉並区は2023年3月、都市計画法第18条の2に基づく「杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)」を改定した。2021年10月策定の新基本構想「みどり豊かな 住まいのみやこ」に対応させる改定という体裁を取るが、実質的な焦点は区内に長年存在してきた都市計画道路計画の是非だった。2022年7月に就任した岸本聡子区長は、事業認可のない路線の必要性再検討を公約に掲げており、骨子案への意見募集(549件)、区内7地域での説明会、最終案への意見募集(252件)という2段階のパブリックコメントを経て、「事業認可済み区間は住民合意を図りながら整備を継続し、未認可区間は効果検証のうえ必要性を検討する」という線引きに方針を転換した。
改定後も、区長と区民が直接意見を交わす「さとことブレスト」や、2024年度に設置された「(仮称)デザイン会議」を通じて、道路計画をめぐる対話は継続している。パブリックコメントの実施と方針改定で完結させず、賛否が割れたテーマについて対話の器そのものを長期化させている点が、この事例の中心的な特徴である。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)の改定|杉並区公式ホームページ)
まちづくり基本方針は、杉並区基本構想に基づく都市整備分野の総合的方針であると同時に、都市計画法第18条の2に基づく「都市計画マスタープラン」としての法的性格を持つ。今回の改定は、2021年10月に策定された新たな基本構想が掲げる将来都市像「みどり豊かな 住まいのみやこ」の実現に向け、概ね10年程度(目標年次:令和12年度)のまちづくりの基本的方針を再提示する位置づけで進められた。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)概要版)
改定作業の実質的な焦点は、区内の都市計画道路計画だった。杉並区の都市計画道路は34路線、総延長でおよそ84キロメートルにのぼるが、道路として完成しているのは全体のおよそ半分にとどまる。既に事業認可を取得し用地買収が進む区間がある一方、決定から半世紀近く経ちながら未着手のまま「計画線」として建築制限などの負担を沿線住民に強いてきた区間も多く、整備の是非をめぐって住民の意見が長く分かれていた。 (参考:都市計画道路|杉並区公式ホームページ)
2022年6月の区長選では、こうした都市計画道路の扱いが争点の一つとなった。新人の岸本聡子氏は、事業認可を得ていない路線・区間について効果を検証し必要性を検討する方針を掲げて当選し、同年7月に就任した。同氏の就任後まもない同年11月に公表された骨子案では、西荻窪・阿佐ケ谷・高円寺の各駅周辺に位置づけられていた「重点路線」という区分そのものを見直す考えが示され、既に事業認可された路線は整備を進める一方、未認可の路線・区間は「効果を検証し、必要性を検討する」との記述が盛り込まれた。 (参考:杉並区・まちづくり基本方針骨子案 都市計画道路の必要性再検討も|東京新聞デジタル)
基本構想への対応という形式的な改定作業の裏側に、政権交代を機に噴出した道路政策をめぐる対立があったことが、この改定を単純な計画更新ではなく、住民参加の設計そのものが問われる事例にしている。
1. まちづくり区民アンケート(2021年12月)
改定に先立ち、区は区民アンケートを実施して基礎的な意見を収集した。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)の改定|杉並区公式ホームページ)
2. 骨子案の作成と意見募集(2022年10月1日〜17日)
改定の方向性を示す骨子案について意見募集を実施し、549件の意見が寄せられた。内訳はLoGoフォーム449件、ファクス35件、郵送18件、Eメール27件、持参20件で、オンラインフォームが提出手段の8割を占めた。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)の改定|杉並区公式ホームページ)
3. 骨子案の修正と都市計画道路の方向転換(2022年11月)
549件の意見のうち特に多かった都市計画道路への意見を踏まえ、骨子案が修正された。事業認可済み区間は住民合意を図りながら整備を継続する一方、未認可区間は効果検証を経て必要性を検討するとの方向性が示され、従来の「重点路線」という一律推進の位置づけは撤廃された。 (参考:杉並区・まちづくり基本方針骨子案 都市計画道路の必要性再検討も|東京新聞デジタル)
4. まちづくり基本方針(案)に対する説明会とパブリックコメント(2022年12月15日〜2023年1月31日)
区内7地域で説明会を開催するとともに、修正後の方針案について意見募集を行った。寄せられた252件のうち246件が、個人情報を除いて原則全文の形で公開されている。公開された意見には、都市計画道路の推進を求める声と見直し・撤回を求める声が同じ路線について並存していた。例えば南阿佐谷地域の住民からは、骨子案にあった「整備」という表現が修正版で弱められたことを歓迎する意見が出た一方、高円寺北の住民からは既に事業認可を得ている路線についても「事業認可されているが、その事業内容を検証して、見直すこととする」との文言に改めるよう求める意見が提出された。逆に、防災上の必要性や地価上昇への期待から計画の着実な推進を求める意見も複数寄せられており、区は賛否を集計・要約する形ではなく、意見をほぼそのまま公開する形を取った。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(案)に対する区民等の意見)
5. 改定・公表(2023年3月)
まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)として改定・公表された。都市計画道路については、「都市の骨格となる都市計画道路について、既に事業認可を取得している区間では、住民との合意形成を図りつつ、事業を進めます。事業認可を取得していない区間については、防災機能の強化や環境負荷の軽減を図る観点などから効果の検証を行い、その結果を踏まえて必要性を検討します」との方針が明記された。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)概要版)
6. さとことブレストの継続実施(2022年度〜)
区長と区民が直接意見を交わす対話集会「さとことブレスト」が、西荻・高円寺地域、補助133号線周辺地域(南阿佐谷)など、道路計画をめぐり意見が割れる地域・テーマごとに複数回開催された。 (参考:さとことブレスト|杉並区公式ホームページ)
7. 都市計画道路の効果検証(2023年度〜)
事業認可を得ていない西荻・高円寺・阿佐谷の3地域を対象に、「防災」「環境」「活力」「暮らし」の4分野25指標による点数化を実施。アンケートと有識者ヒアリングを行い、「整備していく順番を決めるものではない」と留保をつけたうえで、次期事業化計画の検討材料として位置づけている。 (参考:区内の都市計画道路の効果検証について|杉並区公式ホームページ)
8. (仮称)デザイン会議の設置(2024年度〜)
さとことブレストで積み重ねた対話を踏まえ、西荻窪(補助132号線)・高円寺(補助221号線)・南阿佐ケ谷(補助133号線延伸)の3地域に「(仮称)デザイン会議」を設置した。市民と区の協働対話の場である「全体会」、立候補した市民と区職員が企画・進行する「運営会議」、市民主体で社会実験や調査を行う「テーマ部会」、勉強会などの「情報共有・学びの場」という4つの機能で構成される。高円寺地域では2024年9月の第1回から2025年6月の第4回まで全体会が積み重ねられており、改定から2年以上を経ても運営が続いている。 (参考:(仮称)デザイン会議とは?|杉並区公式ホームページ、(仮称)デザイン会議 高円寺地域|杉並区公式ホームページ)
「認可済みは進める、未認可は検証する」という既存の法的区分で対立を整理した
杉並区の都市計画道路34路線・約84キロメートルは、整備率が約5割で、対立の構図は路線ごとにばらばらだった。区は今回の改定で、独自の新しい基準を作るのではなく、「事業認可を取得しているか否か」という既存の法的な区分をそのまま対応の線引きに転用した。全路線を一律に推進・凍結するのではなく、事業認可済み区間は住民合意を図りながら整備を継続し、未認可区間は効果検証のうえで必要性を検討するという二分法により、全面推進でも全面凍結でもない現実的な落としどころを設けている。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)概要版)
賛否が対立する意見を編集せず全文公開した
最終案パブリックコメントで寄せられた252件のうち246件は、賛否の集計や要約に置き換えられることなく、原則全文の形で公開されている。同じ路線について「一刻も早く計画を破棄してほしい」という意見と「道路計画は着実にすすめてください」という意見が並んで掲載されており、行政が特定の結論に世論を誘導しているという印象を与えにくい構成になっている。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(案)に対する区民等の意見)
パブリックコメントの後に、制度化された対話体を残した
法定のパブリックコメントと説明会は方針改定と同時に一区切りを迎えるのが通例だが、杉並区は改定後も「さとことブレスト」、さらに2024年度からは運営会議・テーマ部会を備えた「(仮称)デザイン会議」という形で対話の場を継続させている。都市計画道路のように結論が出るまでに複数年を要するテーマに合わせて、対話の器そのものを長期運営できる設計にした点が特徴である。 (参考:(仮称)デザイン会議とは?|杉並区公式ホームページ)
定性的な対立を、共通の指標に翻訳する試みを併走させた
効果検証で採用された「防災」「環境」「活力」「暮らし」の4分野25指標は、道路整備の是非をめぐる議論を「賛成か反対か」という二項対立から、指標ごとの点数という共通の土俵に引き戻す試みである。区自身が「整備していく順番を決めるものではない」と留保をつけている点から、指標を最終決定の道具としてではなく、対話のたたき台として位置づけていることがうかがえる。 (参考:区内の都市計画道路の効果検証について|杉並区公式ホームページ)
まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)は2023年3月に改定・公表された。骨子案段階の549件、最終案段階の252件を合わせ、2段階のパブリックコメントで計800件超の意見を集約したうえでの改定である。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)の改定|杉並区公式ホームページ、杉並区まちづくり基本方針(案)に対する区民等の意見)
都市計画道路については、一律推進の位置づけだった「重点路線」という区分が見直され、事業認可済み区間と未認可区間とで対応を明確に分ける方針へ転換した。この方針転換自体が、改定を通じて確認できる最も具体的な到達点である。 (参考:杉並区まちづくり基本方針(杉並区都市計画マスタープラン)概要版、杉並区・まちづくり基本方針骨子案 都市計画道路の必要性再検討も|東京新聞デジタル)
2024年度から西荻窪・高円寺・南阿佐ケ谷の3地域で「(仮称)デザイン会議」が設置され、高円寺地域では2024年9月の第1回から2025年6月の第4回まで全体会が重ねられるなど、改定後も対話の枠組みが継続的に運営されている。 (参考:(仮称)デザイン会議とは?|杉並区公式ホームページ、(仮称)デザイン会議 高円寺地域|杉並区公式ホームページ)
対話を通じた個別の実践例も報じられている。西荻窪の道路拡幅事業に伴う沿道まちづくりの対話の場では、参加した建築士との対話を通じて「雨庭」という具体的な土地利用案が実現した例がある。 (参考:岸本聡子・杉並区長の看板「対話の区政」の現状は|東京新聞デジタル)
一方、未認可区間の道路を最終的に整備するか否かの結論は、調査時点でまだ示されていない。効果検証は2023年度から進められているものの、次期事業化計画の策定に向けて地域説明会での議論が続いている段階であり、対話の場が制度として定着したことと、個別路線の帰趨が確定することとは、現時点では別の到達点である。また、岸本区長が掲げる「対話の区政」という手法自体についても、対立する立場から「偏っている」との批判が報じられており、対話プロセスの評価が区民の間で一致しているわけではないことも、客観的な事実として記録しておく必要がある。 (参考:区内の都市計画道路の効果検証について|杉並区公式ホームページ、岸本聡子・杉並区長の看板「対話の区政」の現状は|東京新聞デジタル)
既存の法的区分を、対立整理の軸に転用する
長期未着手の都市計画道路を抱える自治体は全国に多いが、全面推進か全面凍結かという二択で議論を組み立てると、どちらを選んでも一方の住民の反発を招きやすい。杉並区が採用した「事業認可の有無」という基準は、区が新たに作った物差しではなく、既に存在する法的な区分をそのまま対立整理の軸に転用した点に応用のしやすさがある。事業認可・都市計画決定・区域指定の有無など、同種の制度区分を持つ他の政策分野でも、対立を単純な賛否ではなく既存の区分に沿って仕分ける発想は移植できる。
パブリックコメントを「集計して終わり」にせず、対話体に発展させる
一度限りのパブリックコメントは、意見を集めた後の使い道が説明会や広報にとどまりがちで、「意見は聞いたが反映されなかった」という印象を住民に残しやすい。杉並区は、骨子案・最終案という2段階のパブリックコメントの後に「さとことブレスト」、さらに運営会議・テーマ部会を備えた「(仮称)デザイン会議」という制度化された対話体へと発展させた。ただし杉並区の事例が示すように、対話体を設置すること自体が個別路線の結論を保証するわけではない。対話を制度化する際は、「何が決まれば対話が完了したと言えるか」という出口の基準を並行して示しておく必要がある。
賛否両論を編集せず全文公開する情報公開の姿勢
252件中246件を原則全文公開するという杉並区の対応は、行政が意見を「集約」する過程で特定の結論に誘導しているという疑念を減らす効果が期待できる。施設の統廃合やごみ処理施設の立地など、賛否が割れやすい他の政策分野でも、意見を要約・分類する前の生のテキストを公開する運用は、追加コストをかけずに再現できる。
定量指標は「決定の道具」ではなく「対話のたたき台」として設計する
杉並区の効果検証(4分野25指標)は、指標のスコアがそのまま整備順位を決めるわけではないと明記したうえで運用されている。定量評価を先に確定させてから住民に説明するのではなく、指標そのものを対話の材料として提示し、定量化しにくい論点についても地域説明会で扱うとしている。感情的な対立が生じやすい公共インフラの是非をめぐる議論において、指標を「結論を正当化する道具」ではなく「議論の共通言語」として設計する考え方は、他自治体でも参考になる。
2026年8月時点の調査内容に基づいて作成
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