
下高井戸駅周辺地区まちづくり(街づくり懇談会・地区計画策定)
京王線の連続立体交差事業を契機に、世田谷区・杉並区の区境にまたがる下高井戸駅周辺で進む住民主導のまちづくり。住民協議会がまとめた将来像「しもたかブック」を起点に、街づくり懇談会での合意形成を経て、2026年6月に法的拘束力を持つ地区計画へと結実させた二段階のプロセスを紹介する。
下高井戸駅周辺地区まちづくりは、東京都世田谷区と杉並区の区境にまたがる下高井戸駅周辺で進む、住民主導のまちづくりの取り組みである。京王線の連続立体交差事業(高架化)を大きな契機とし、地元の「下高井戸駅周辺地区街づくり協議会」が2021年7月にまちの将来像をまとめた冊子『みんなでつくる明日のしもたかブック』を作成。この住民発の将来像を土台に、2023年から2025年にかけて世田谷・杉並両区が合同で「街づくり懇談会」を計7回開催し、住民との意見交換を重ねた。(参考:世田谷区「下高井戸駅周辺地区の街づくり」)
その到達点として、世田谷区は2026年6月15日に「下高井戸駅周辺地区地区計画」を都市計画決定・告示し、あわせて用途地域・高度地区・防火地域や既存の地区街づくり計画を変更した。約7.9ヘクタールの区域を5つの地区に区分し、駅前広場2か所を地区施設として位置づけるとともに、建築物の用途・高さ・壁面位置・意匠などのルールを定めている。法的拘束力を持たない住民の将来像を、法的拘束力のある都市計画へと段階的に接続させた点に、この事例の特徴がある。(参考:世田谷区「下高井戸駅周辺地区の街づくり」、世田谷区「下高井戸駅周辺地区地区計画(素案)について」)
下高井戸駅は京王線と東急世田谷線の乗換駅であり、これを中心に下高井戸商店街が広がり、駅から一歩離れると落ち着いた住宅街が続く。商店街の中心に松沢小学校が立地し、徒歩圏に日本大学文理学部を控えるなど、幼少期から青年期まで教育機関が揃う点も、このまちの人口構成に厚みを与えている。生鮮三品(青果・鮮魚・精肉)を核に地域の暮らしに密着した個店が軒を連ね、店主との会話や多世代の交流が日常的に生まれてきた点が、まちの魅力として住民自身に強く意識されてきた。(参考:世田谷区「みんなでつくる明日のしもたかブック」)
こうしたまちに、大きな変化のきっかけをもたらしたのが京王線の連続立体交差事業である。東京都を事業主体として2013年度に着手したこの事業は、笹塚駅〜仙川駅間の約7.2キロメートルを高架化し、代田橋・明大前・下高井戸・桜上水など沿線各駅とあわせて約25か所の「開かずの踏切」を除却するもので、下高井戸駅も高架駅へと生まれ変わる。高架化に伴い駅前広場や都市計画道路(補助第128号線)の整備が予定され、駅周辺の土地利用が大きく動くことになった。(参考:京王電鉄「連続立体交差事業 事業の概要」)
象徴的だったのが、駅前で長く親しまれてきた「下高井戸駅前市場」の閉場である。1956年(昭和31年)に開設されたこの市場は、70年近くの営業の間、開業当初の雰囲気をほとんど変えずに地域住民の暮らしを支えてきたが、建物の老朽化と京王線高架化の進行を受けて、2024年3月に全店舗が営業を終了した。跡地は駅前広場に生まれ変わることが決まっているが、市場が支えてきた生鮮三品の買い物機能や独特の雰囲気をどう次に引き継ぐかは、閉場の時点でなお答えの出ていない宿題として住民に残された。(参考:下高井戸駅前市場 - Wikipedia、All About ニュース)
さらに、駅の南北を鉄道が隔てているために回遊しにくく、人が足を止めて交流できる場も乏しい。加えて、災害発生時の避難ルートへの不安も住民の間に根強く、これらが生活基盤上の課題として認識されていた。鉄道高架化という外的な変化を、まちにとって望ましい方向へ導けるかどうかが、この地区に問われることになった。(参考:世田谷区「みんなでつくる明日のしもたかブック」)
このまちづくりは、住民組織による息の長い活動の積み重ねの上に成り立っている。地元では早くから「下高井戸駅周辺地区街づくり協議会」が活動し、世田谷区は2014年1月、区の街づくり条例に基づく「下高井戸駅周辺地区地区街づくり計画」を策定して、まちの将来像づくりの土台を整えていた。(参考:世田谷区「下高井戸駅周辺地区(地区街づくり計画のみの地区)」)
第一の節目は、2021年7月の『みんなでつくる明日のしもたかブック』の完成である。街づくり協議会が中心となり、生活者・商売人・学生などまちに関わる人々の意見を参考に、まちの魅力・課題・将来像をまとめた冊子で、「まちの情緒やつながりを大切にして、暮らしやすい未来を創る」を基本理念に掲げた。将来像は「商店街のあちこちでふれあいが生まれるまち」「街と人、人と人のつながりを育むまち」「防災力が高く、多彩な活動が生まれるまち」という3つの目標と、それぞれ3方向ずつ計9つの具体的な方向性へと整理されている。しもたかブックは法的拘束力を持たないが、具体的なまちづくりの将来像を共有する手引きとして、世田谷区の「区民街づくり協定」に登録された。(参考:世田谷区「みんなでつくる明日のしもたかブック」)
第二の局面が、この将来像を実現手段へと具体化する段階である。区は2022年8〜9月に地区計画策定に向けたアンケート調査を実施したうえで、2023年6月から街づくり懇談会をスタートさせた。懇談会は2025年5月の第7回まで計7回、地区住民や地権者を対象に開かれ(活動報告会2回を含めると計9回)、すべて世田谷区と杉並区の合同開催とされた。回を重ねるなかで、しもたかブックが描いた将来像を「まちづくりのルール」としてどう落とし込むかが検討され、第7回ではルールのたたき台が住民に示されている。(参考:世田谷区「下高井戸駅周辺地区地区計画(素案)について」、杉並区「下高井戸駅周辺まちづくり」)
第三の局面は、都市計画手続きによる制度化である。世田谷区は懇談会での意見を踏まえて地区計画(素案)を取りまとめ、2025年8月の素案説明会を皮切りに、都市計画審議会への予告、都市計画法第16条・第17条に基づく公告・縦覧と説明会を段階的に進めた。この間の2024年3月には、駅前広場の受け皿ともなる補助第128号線の都市計画事業が認可されている。こうした手続きを経て、2026年6月15日に地区計画が都市計画決定・告示された(世田谷区告示第453号)。同時に、東京都決定の用途地域と、世田谷区決定の高度地区・防火地域が変更され、既存の地区街づくり計画も変更された。(参考:世田谷区「下高井戸駅周辺地区地区計画(素案)について」、世田谷区「下高井戸駅周辺地区(地区街づくり計画のみの地区)」)
第一の特徴は、「住民発の将来像」と「法的拘束力を持つ都市計画」を二段構えで接続した点にある。しもたかブック(2021年)はあくまで法的拘束力を持たない冊子だが、まちの魅力・課題・将来像を住民の言葉で描き、区民街づくり協定として公的に位置づけられた。そのうえで、街づくり懇談会(2023〜2025年)がこの将来像を「まちづくりのルール」へと翻訳し、最終的に地区計画(2026年)という強制力のある制度へと結実させた。「柔らかい合意」から「硬いルール」へと段階的に橋を架ける流れが、時系列と文書の両面で明確に設計されている。(参考:世田谷区「みんなでつくる明日のしもたかブック」、世田谷区「下高井戸駅周辺地区地区計画(素案)について」)
第二に、地区計画のルール設計が、商店街を「取り壊して更新する」のではなく「特性を守りながら誘導する」方向に振れている点が挙げられる。約7.9ヘクタールを商業地区(約3.6ヘクタール)・近隣商業地区(約3.1ヘクタール)・沿道商業地区(約0.5ヘクタール)・幹線道路沿道地区(約0.4ヘクタール)・沿道住宅地区(約0.3ヘクタール)の5地区に区分し、用途・容積率・敷地面積の最低限度・壁面の位置・高さ・意匠などをきめ細かく定めている。とりわけ、壁面線に面する敷地で建築物の高さ最高限度を原則16メートルとしつつ、敷地に一定規模以上の「にぎわい空間」(歩行者が利用できる空地)を設けた場合には、商業地区で敷地面積500平方メートル未満は22メートル・500平方メートル以上は25メートルへ、近隣商業地区では19メートルへとそれぞれ緩和する仕組みは、空間を提供する開発にインセンティブを与えることで、商店街のにぎわいと歩行者空間を自発的に引き出そうとする街並み誘導型の発想を体現している。あわせて敷地面積の最低限度を50平方メートルとし、土地の細分化による市街地の密集を抑える規定も置かれた。(参考:世田谷区「下高井戸駅周辺地区地区計画(素案)について」)
第三に、区境をまたぐ二自治体の協働という難しい条件下で進められている点である。下高井戸駅周辺は世田谷区と杉並区にまたがり、両区はそれぞれ制度が異なるにもかかわらず、街づくり懇談会を合同で開催し、世田谷区立松沢小学校を主な会場として一体的に議論を進めた。他方で、両区の歩みは同じではない。世田谷区が2026年6月に地区計画を決定したのに対し、一方の杉並区は地区計画としての決定にはまだ至っておらず、建物の共同化などを軸に、地元の住民自身が望ましい街区の姿を模索する段階にとどまっている。同じ駅を共有しながら合意形成の熟度に差が生まれる現実が、この事例には表れている。(参考:杉並区「下高井戸駅周辺まちづくり」、世田谷区「下高井戸駅周辺地区の街づくり」)
2026年7月時点で確認できる最大の成果は、住民の将来像を出発点としたまちづくりが、都市計画決定という具体的な制度に到達したことである。2026年6月15日、世田谷区は「下高井戸駅周辺地区地区計画」を決定・告示し(告示第453号)、あわせて地区街づくり計画を変更した。これにより、区域内で建築を行う際には事前に世田谷区へ届け出る義務が生じることとなり、しもたかブックが思い描いた「歩行者に優しく、にぎわいと交流のあるまち」を、日々の建築行為のレベルで具体化していく運用段階に入った。(参考:世田谷区「下高井戸駅周辺地区(地区街づくり計画のみの地区)」)
制度化にあたっては、交通結節点機能を高める駅前広場2か所(商店街沿道側の1号が約815平方メートル、補助128号線沿道側の2号が約500平方メートル)が地区施設として位置づけられた。市場跡地を含む駅前が、歩行者が憩い交流する滞留空間として整備される道筋が定まった意味は大きい。プロセス面でも、2023年6月から2025年5月まで街づくり懇談会を計7回(活動報告会を含め計9回)継続し、世田谷・杉並両区で住民との意見交換を重ねた実績が積み上がっている。(参考:世田谷区「下高井戸駅周辺地区地区計画(素案)について」)
一方で、成果は「実現に向けたルールの整備」までであり、まちの姿として目に見える変化はこれからという段階にある点は客観的に押さえておく必要がある。象徴だった駅前市場の生鮮機能をどう継承するか、住民が求める共同化・再開発を地権者の合意形成のもとでどう進めるか、杉並区側の地区計画をどうまとめるかといった論点は、いずれも今後に持ち越されている。高架化事業そのものも完成までにはなお年月を要し、駅前広場や道路の整備は鉄道工事の進捗と歩調を合わせて進む見通しである。(参考:杉並区「下高井戸駅周辺まちづくり」、世田谷区「みんなでつくる明日のしもたかブック」)
第一に、鉄道の連続立体交差事業のような「外から与えられる大きな変化」を、住民主導のまちづくりの推進力に転換した点は、多くの沿線地域に応用できる。高架化・駅前広場・道路整備といった都市基盤の更新は、放置すれば行政と鉄道事業者の論理で進みがちだが、下高井戸では住民がその機会をとらえ、市場という喪失に向き合いながら「どんなまちにしたいか」を先に言語化した。基盤整備のスケジュールが動き出す前に地域の将来像を用意しておくことが、変化を受け身で被るか、主体的に方向づけるかの分かれ目になることを示している。
第二に、法的拘束力のない「将来像の冊子」と、拘束力のある「地区計画」を意図的に段階接続させた設計は、再現性の高いモデルである。いきなり規制から入るのではなく、まず住民の言葉で魅力・課題・目標を共有する冊子をつくり、それを区民街づくり協定として公的に位置づけ、懇談会でルールへ翻訳し、最後に都市計画へ落とす——という順序は、合意の土台を先につくってから制度に進むことで、規制への納得感を高める。特定の個人の力量に依存せず、文書とプロセスの積み重ねとして設計されているため、他地域でも手順として辿りやすい。
第三に、地区計画のルールを「保存」と「更新」の二者択一ではなく、インセンティブによる誘導として組んだ発想が参考になる。高さ制限を原則値に据えつつ、歩行者のためのにぎわい空間を提供すれば緩和する仕組みは、商店街の個店的なスケールや歩行者中心の空間を守りたい地域が、開発需要を否定せずに望ましい方向へ導くための具体的な道具立てとなる。あわせて、区境をまたぐ二自治体が合同で懇談会を運営しながらも、合意熟度の違いによって歩みに差が生じた経緯は、複数の主体が関わるまちづくりで進度をどう扱うかを考える際の、率直な参照材料となる。
2026年7月時点の調査内容に基づいて作成
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