
沼津市景観計画改定
沼津市が2025年8月に15年ぶりの景観計画改定を実施。富士山溶岩流が生んだ鮎壺の滝を眺望点に指定し、都市再生施策と連動した景観政策への転換を図った事例。
静岡県沼津市は2025年8月1日、2010年策定の景観計画を15年ぶりに改定した。改定の目玉は、約1万年前に富士山から流れ出た溶岩流が生み出した「鮎壺の滝」を正式な眺望点として位置づけたことである。(参考:沼津市景観計画改定)
鮎壺の滝は沼津市と長泉町の境界を流れる黄瀬川の中流部にあり、高さ約10メートル、幅約90メートルの規模を持つ。1996年に静岡県天然記念物に指定され、2018年には伊豆半島のユネスコ世界ジオパーク認定に伴い国際的な地質遺産としての価値が認められた。滝壺の名前は、かつて多くの鮎が群れていたことに由来する。(参考:鮎壺の滝(沼津市文化財)、ぬまづの宝100選)
今回の改定では、沼津駅周辺で進む大規模再開発に対応した景観誘導の強化と、地質遺産の保全を両立させる景観政策への転換を図った。2020年以降に策定された中心市街地まちづくり戦略や都市空間デザインガイドラインと連動させ、景観計画を都市政策全体の中に明確に位置づけた点が特徴である。(参考:沼津市中心市街地まちづくり戦略、都市空間デザインガイドライン)
沼津市の人口は1995年の約21.8万人をピークに減少を続け、中心市街地では長崎屋、丸井、西武百貨店、富士急百貨店といった大型商業施設が相次いで撤退した。2010年に策定された景観計画は、こうした都市環境の変化に対応できていなかった。(参考:沼津市まち・ひと・しごと創生人口ビジョン)
沼津市は2020年3月に「沼津市中心市街地まちづくり戦略」を策定し、「ヒト中心の魅力ある場所への再生」を掲げた。2022年6月には「沼津市都市空間デザインガイドライン」と「沼津市公共空間再編整備計画」を策定し、公共と民間が共通認識のもとで景観形成に取り組む基盤を整えた。(参考:沼津市中心市街地まちづくり戦略、都市空間デザインガイドライン)
2024年1月26日にはUR都市機構と「沼津市中心市街地まちづくり戦略の推進に関する協定」を締結した。URが自治体と15年間という長期協定を結ぶのは初めてのことで、2039年3月31日までの期間で旧西武百貨店跡地の活用や駅前空間の再編整備に取り組む。こうした都市政策の大きな転換期において、景観計画も更新が求められていた。(参考:UR都市機構との協定、日本経済新聞)
鮎壺の滝は、約1万年前に富士山から流れ出た三島溶岩流が生み出した地形である。三島溶岩は粘りけの少ない玄武岩質の溶岩で、ハワイの溶岩のように薄く広がりやすい性質を持っていた。この溶岩流は約35〜40キロメートルも流れ下り、愛鷹山と箱根山の間の谷を埋め尽くした。その後、黄瀬川が柔らかい愛鷹ローム層を侵食し、残された硬い溶岩層が滝となって現在の姿を形作った。(参考:伊豆半島ジオパーク、静岡大学防災総合センター)
滝壺では溶岩が4層に重なっている断面を観察でき、溶岩の熱によってローム層が黒色から赤褐色に変色している様子も確認できる。岩盤の底部には、かつてそこに生育していた樹木が立ったまま焼かれた痕跡である溶岩樹型の穴が複数残されている。滝の東方500メートル付近にある稲荷神社には、溶岩流の表面が冷え固まる際に形成された溶岩塚も保存されている。(参考:静岡大学防災総合センター)
伊豆半島ジオパークは2012年に日本ジオパークに認定され、2018年4月17日にはパリで開催された第204回ユネスコ執行委員会で世界ジオパークとして認定された。日本で9番目の認定であり、鮎壺の滝は北伊豆エリアのジオサイトとして国際的な価値を認められた。JR御殿場線下土狩駅から徒歩約5〜10分という市街地に近い立地も特徴で、1998年に架設された吊橋「鮎壺のかけ橋」からは滝と富士山を正面に望むことができる。(参考:伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク認定(文部科学省)、沼津観光ポータル)
沼津市は2023年10月23日から11月21日まで、景観計画改定案に関するパブリックコメントを実施した。市民2名から合計54件の意見が寄せられ、市は意見の概要と市の考え方をまとめた結果報告書を2024年2月5日に公表した。意見件数からは、景観政策に対する一部市民の高い関心がうかがえる。(参考:パブリックコメント実施結果)
景観計画の改定は、以下の5つの主要な改定内容で構成された。
景観形成方針の見直し: 市全域に共通する景観形成の基本的な考え方を、中心市街地まちづくり戦略の方向性と整合させる形で再整理した。
景観形成重点地区の区域拡大: 沼津駅周辺地区の景観形成重点地区の範囲を拡大し、駅周辺の再開発事業に対応した景観誘導を可能にした。沼津市は現在、沼津駅周辺地区、白隠のみち地区、沼津港周辺地区、原駅前地区、戸田港周辺地区の5地区を景観形成重点地区に指定している。(参考:景観基本構想・景観計画)
眺望景観保全方針の体系化: 鮎壺の滝を新たな眺望点として正式に位置づけ、富士山を望む眺望景観の保全方針を明文化した。改定版景観計画のP54〜P61に詳細が記載されている。
景観重要公共施設の指定: 公共空間の景観形成を制度的に強化するため、重要な公共施設の指定を進めた。
景観形成推進方策の追加: 太陽光発電施設や風力発電施設に対する景観配慮の規制誘導方策を追加した。沼津市は「沼津市景観等と再生可能エネルギー発電事業との調和に関する条例」を制定しており、2025年1月1日から施行されている。同条例では、1,000平方メートル以上の太陽光発電事業や、高さ10メートル超の風力発電施設について、住民説明会の開催や許可申請手続きを義務づけている。(参考:再生可能エネルギー条例)
鮎壺の滝が眺望点として位置づけられたことで、周辺での大規模建築物等の計画時には、展望地や景観資源等の視点場からの見え方がわかる資料(近景、中景、遠景の視点場各2か所以上)の提出が求められることになった。開発事業者が計画段階から眺望景観への影響を検討する仕組みが制度化された。
景観計画改定の最大の特徴は、景観政策を単独で見直すのではなく、都市政策全体の転換と連動させた点にある。2020年の中心市街地まちづくり戦略、2022年の都市空間デザインガイドライン、2024年のUR都市機構との15年協定という一連の施策の中に景観計画を位置づけた。公共空間の整備と民間開発の双方において、共通の景観形成の考え方が浸透しやすい仕組みを構築した。
鮎壺の滝は、県天然記念物(1996年)、ユネスコ世界ジオパークのジオサイト(2018年)、ぬまづの宝100選という複数の価値認定を既に受けていた。今回の眺望点指定は、これらに景観行政の枠組みを加えることで、保全と活用の両立を制度的に強化する試みである。文化財保護、ジオパーク、景観行政という異なる制度を重ねることで、多角的な保全が可能になった。
沼津市は市域全体を景観計画区域としながら、特に重点的に景観形成を図る5地区を景観形成重点地区に指定している。沼津駅周辺地区、白隠のみち地区、沼津港周辺地区、原駅前地区、戸田港周辺地区はそれぞれ異なる地域特性を持ち、地区ごとに適した景観誘導を行っている。鮎壺の滝の眺望点指定は、こうした地区別景観戦略の一環として実施された。
鮎壺の滝が眺望点として指定されたことで、周辺での大規模建築物等の計画時に、視点場からの見え方を示す資料の提出が制度上必要となった。これにより、鮎壺の滝からの景観を損なう開発を未然に防ぐ実効性のある枠組みが構築された。
景観計画において眺望点として正式に位置づけられたことは、鮎壺の滝の地域資源としての価値を行政が改めて認めたことを意味する。伊豆半島ジオパークのジオサイトとしての観光活用に加え、景観行政の枠組みでも重要地点として扱われることで、発信力の向上が期待される。JR下土狩駅から徒歩約5〜10分という立地を活かし、観光客だけでなく地域住民の日常的な憩いの場としての活用も見込まれる。
眺望景観保全方針が景観計画の中で体系的に明文化されたことで、今後の開発における景観配慮の基準が明確になった。UR都市機構との15年協定や中心市街地まちづくり戦略の実施期間を通じて、この景観計画が継続的な指針として機能することが見込まれる。
一つの地域資源に対して、文化財保護、ジオパーク、景観行政といった複数の制度を重ねることで、それぞれの制度が持つ保全手法や規制権限を組み合わせた多角的な保全が可能になる。新たな価値を創出するのではなく、既存の価値を制度的に再整理・強化する手法として参考になる。
単独の計画改定ではなく、都市政策全体の転換期に合わせて実施することで、関連計画との整合性が確保され、景観政策の実効性が高まる。上位計画や関連計画との連動を意識した改定タイミングの設定が重要である。
眺望景観保全方針を掲げるだけでなく、大規模建築物等の計画時に視点場からの見え方を示す資料提出を義務づけたことで、開発事業者が計画段階から景観への配慮を組み込む仕組みを構築した。抽象的な方針ではなく、具体的な手続きと提出資料を規定することが、景観誘導の実効性確保につながる。
2026年3月時点の調査内容に基づいて作成
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