
杉並区 感震ブレーカー設置支援事業
杉並区が2016年から実施する電気火災予防事業。全世帯を対象に簡易型感震ブレーカーの設置を支援し、特例対象者は完全無料で利用可能。木造住宅密集地域を多く抱える区の特性を踏まえた先駆的な取り組み。
杉並区が2016年4月から実施している電気火災予防事業である。地震の揺れを感知して自動的にブレーカーを落とす「感震ブレーカー」の設置を、区内全世帯を対象に支援している。器具代は区が全額負担し、設置費用は一般世帯が2,000円、特例対象者は完全無料となる。木造住宅密集地域を多く抱える杉並区東部の特性を踏まえ、「火災を起こさない」予防段階からのアプローチを重視した先駆的な取り組みである。 (参考:杉並区公式 感震ブレーカー設置支援事業、事業構想オンライン)
阪神淡路大震災(1995年)では285件の火災が発生し、出火原因が判明したもののうち最も多かったのが電気機器等に関連する火災であった。地震直後は電気を発火源・ガスを着火物とするケースが多かったが、時間が経過するにつれ、停電復旧後に発生するいわゆる「通電火災」の割合が増加した。避難中の留守宅で送電が復旧した際、倒れた電気ストーブや損傷した電源コードから発火し、初期消火されないまま延焼するパターンが多発した。 (参考:内閣府 阪神・淡路大震災教訓情報資料集)
東日本大震災(2011年)でも、津波火災を除く地震の揺れによる火災163件のうち、出火原因が特定されたものの過半数が電気関係であった。一方、ガスに起因する出火はわずか約4%(6件)にとどまった。これは地震時に揺れを感知してガス供給を停止するマイコンメーターがほぼ100%普及していることが寄与している。電気設備には同様の自動遮断機能が標準装備されておらず、電気火災対策の遅れが浮き彫りとなった。 (参考:内閣府 大規模地震時の電気火災の発生抑制に関する検討会、事業構想オンライン)
杉並区東部はJR中央線・東京メトロ丸ノ内線沿線を中心に、道路が狭く古い木造住宅が密集する地域が広がっている。東京都の「地震に関する地域危険度測定調査」(第9回、令和4年9月公表)によれば、区内で火災危険度ランク5(最高危険度)に指定されているのは高円寺北3丁目の1地域、ランク4は阿佐谷北2・3丁目、阿佐谷南1丁目、天沼1・2丁目、和泉1丁目、高円寺北1・4丁目、高円寺南3丁目、下高井戸3・4丁目、松庵3丁目、成田東1・3・5丁目、西荻北4丁目、西荻南2丁目、本天沼1・2丁目、松ノ木3丁目、方南1丁目の21地域に及ぶ。首都直下地震が発生した場合、区東部・南部では震度6強が想定されており、大規模な延焼被害が懸念される地域である。 (参考:東京都都市整備局 地震に関する地域危険度一覧表(杉並区))
2014年3月に閣議決定された「首都直下地震緊急対策推進基本計画」では、出火防止対策として感震ブレーカー等の普及促進が位置づけられた。内閣府・消防庁・経済産業省は「大規模地震時の電気火災の発生抑制に関する検討会」を設置し、2015年2月に「感震ブレーカー等の性能評価ガイドライン」を策定した。東京都も区市町村が実施する感震ブレーカー設置支援事業に補助金を交付し、2030年度までに都内設置率25%を目標に普及促進を図っている。 (参考:内閣府 大規模地震時の電気火災の発生抑制に関する検討会、東京都防災ホームページ)
こうした動きの中、杉並区は従来の「発火後の対応」から「発火そのものの予防」へと方針を転換し、2016年4月に全国に先駆けて感震ブレーカー設置支援事業を開始した。 (参考:事業構想オンライン)
本事業は杉並区内に居住または家屋を有するすべての人を対象としている。器具購入費は区が全額負担し、設置費用として2,000円のみを自己負担する仕組みである。当初は火災危険度の高い地域を対象としていたが、その後、対象地域を区内全域に拡大した。 (参考:杉並区公式 感震ブレーカー設置支援事業)
以下に該当する「特例対象者」は、設置費用2,000円も区が負担し完全無料で利用できる。
自力での設置が困難な世帯や火災リスクの高い地域に重点的な支援を行う設計となっている。 (参考:杉並区公式 感震ブレーカー設置支援事業)
申請後、杉並区と協定を締結している「杉並区小規模建設事業団体連絡会」の事業者が申込者宅を訪問し、簡易型感震ブレーカーを分電盤に設置する。器具のみの引き渡しは行わず、必ず専門事業者による設置工事がセットになっている。申請から設置完了までおおむね1〜2か月を要し、一世帯につき1回の申請が可能である。 (参考:杉並区公式 感震ブレーカー設置支援事業)
令和7年度からは電子申請フォームからの申込も可能となった。紙申請の場合は、申請書・チェックシートを危機管理室防災課(西棟6階)に郵送または持参する。賃貸住宅の場合は家主の承諾書、特例対象者は該当する証明書類のコピーが必要となる。申請書は区役所防災課窓口のほか、区民事務所、地域区民センター、図書館でも配布している。 (参考:杉並区公式 感震ブレーカー設置支援事業)
区が設置を支援するのは簡易タイプの感震ブレーカーで、震度5強または震度6弱以上の揺れを感知すると自動的に分電盤のブレーカーを遮断し、住宅全体への電力供給を止める装置である。内閣府ガイドラインで二つ星評価を獲得し、誤作動率が低い製品を選定している。分電盤に後付けで設置する補助器具であり、電気工事は不要である。 (参考:事業構想オンライン、内閣府 大規模地震時の電気火災の発生抑制に関する検討会)
従来の防災対策が初期消火や延焼防止に重点を置いていたのに対し、本事業は発火そのものを防ぐ予防段階からの対策を重視している点が特徴的である。当時の防災課長は、木造密集地域が多く火災被害が大きいと予測される区の状況を踏まえ、この方針転換を決定したと述べている。 (参考:事業構想オンライン)
器具のみの配布ではなく、専門事業者による訪問設置をセットにすることで、高齢者世帯など自力での設置が困難な世帯でも確実に導入できる仕組みとした。同時に、設置を地元の小規模建設事業団体に委託することで、地域経済への貢献も図っている。
火災危険度の高い地域だけでなく、高齢者のみの世帯、障害のある方がいる世帯、難病患者のいる世帯など、災害時に支援を必要とする可能性が高い層を幅広く特例対象者に設定し、完全無料で利用できるようにした。個人の防災意識や経済状況の差にかかわらず、地域全体の安全レベルを底上げする設計となっている。
国のガイドライン策定(2015年2月)から約1年という早い段階で事業を開始した点も特徴である。2022年時点で感震ブレーカーの全国設置率は5.2%にとどまる中、先駆的にこの課題に取り組んできた自治体として位置づけられる。 (参考:消防庁 感震ブレーカー普及に関する資料)
感震ブレーカーの普及率は全国的に低水準にある。消防庁の資料によれば、2022年時点での全国設置率は5.2%にとどまっている。東京都は2020年時点で約8.3%の普及率であり、2030年度までに25%を目標としている。主な課題として、感震ブレーカー自体の認知度や必要性の理解不足、通電火災への注意喚起不足が挙げられている。 (参考:消防庁 感震ブレーカー普及に関する資料、東京都防災ホームページ)
首都直下地震対策においては、感震ブレーカー等の設置を進めることにより、地震時の火災による建物焼失等が約5割減少すると試算されている。地震火災の主要因は電気関連であり、全体の約6割を占めるとされることから、感震ブレーカーによる通電遮断が延焼拡大の防止に直結する。 (参考:内閣府 大規模地震時の電気火災の発生抑制に関する検討会、東京都防災ホームページ)
2024年1月の能登半島地震では、輪島市で焼失面積約4万9千㎡・約240棟が焼損する大規模火災が発生し、地震の影響により電気に起因した火災が発生した可能性が指摘されている。こうした事例からも、感震ブレーカー普及の重要性が改めて認識されている。 (参考:消防庁 能登半島地震における火災等被害及び消防機関の対応状況)
感震ブレーカー普及の障壁として、費用負担と設置の手間が挙げられる。杉並区のように器具代を全額負担し、専門事業者による訪問設置をセットにする方式は、これらの障壁を同時に解消するアプローチとして参考になる。
火災危険度の高い地域や災害時要配慮者を特例対象者として完全無料化する仕組みは、限られた予算でリスクの高い層に優先的にアプローチする方法として有効である。
設置工事を地元の小規模建設事業団体に委託する仕組みは、防災対策と地域経済振興を両立させる工夫として注目される。
感震ブレーカー設置にあたっては、停電対策として足元灯や懐中電灯などの照明器具を常備すること、医療機器を使用している家庭ではバッテリーを備えることが推奨される。建物の耐震化や家具の転倒防止対策と併せて実施することで、より高い減災効果が期待できる。 (参考:内閣府 大規模地震時の電気火災の発生抑制に関する検討会)
2026年3月時点の調査内容に基づいて作成
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