
スーパーシティ「最も実現してほしいサービス」インターネット投票実証
つくば市が2025年2〜3月に実施した、スーパーシティの9サービスから優先度を選ぶインターネット投票。マイナンバーカードの署名用電子証明書で本人確認と投票の秘密を両立し、公職選挙でのネット投票実現を見据えて市が積み重ねてきた選挙DXの実証を、実際の市民ニーズ調査の場で運用した事例。
つくば市は2025年2月20日から3月24日にかけて、「つくばスーパーサイエンスシティ構想」で『最も実現してほしい』サービスを選ぶインターネット投票を実施した。行政サービス・モビリティ・ヘルスケアの3分野にそれぞれ3つ、計9つのサービス案を市民に示し、どれを優先的に社会実装してほしいかをオンラインで投票してもらう「市民ニーズ調査」である。投票には署名用電子証明書の機能を備えたマイナンバーカードを用い、市民は市の公式アプリ「つくスマ」から、あるいはスマートフォンを持たない人は市役所窓口から投票した。 (参考:スーパーシティで『最も実現してほしい』サービスのインターネット投票 - つくば市、同(デジタル政策課)- つくば市)
この投票の特徴は、「市民の意見を集める手段」そのものが、投票対象となった9サービスの一つ(行政分野の「インターネット投票の実現」)と重なっている点にある。市は公職選挙でのインターネット投票実現を長年の目標に掲げ、2018年から本人確認と投票の秘密を両立させる技術実証を積み重ねてきた。本事例は、その技術を「市長選の代わり」ではなく「まちづくりの優先度を決める実際の意思決定」に組み込み、市民参加とネット投票の社会実装を同時に前へ進めようとした取り組みである。結果として行政分野では「インターネット投票の実現」自体が最多得票となり、市民がこの仕組みを使いながら、その仕組み自体を最も望むサービスとして選ぶという構図が生まれた。 (参考:『最も実現してほしい』サービスに関する市民ニーズ調査 結果 - つくば市)
つくば市は、研究機関と大学が集積する研究学園都市を背景に、2022年3月10日、国の「スーパーシティ型国家戦略特区」に指定された。市は「つくばスーパーサイエンスシティ構想」として、住民のつながりを力に、大胆な規制改革と先端技術・サービスの社会実装を進める方針を掲げ、行政・モビリティ・ヘルスケアを重点分野に据えている。本事例の9サービスは、この構想で検討されてきた施策メニューにあたる。 (参考:国家戦略特別区域諮問会議において、つくば市をスーパーシティとして指定することが決定されました - つくば市、つくばスーパーサイエンスシティ構想 - つくば市)
構想の「看板事業」と位置づけられてきたのが、公職選挙でのインターネット投票である。その背景には、投票に行きづらい人をどう政治参加につなげるかという切実な課題がある。2020年10月のつくば市長・市議選の投票率は約51.6%と過去最低を記録し、特に20〜24歳は26.1%にとどまった。市内には公共交通が行き届かない地域があり、車を持たない若年層や移動が困難な高齢者・入院中の人ほど投票所に足を運びにくい。五十嵐立青市長は、ネット投票を望む若者に限らず、移動の手段を持たない高齢者や入院中の人など、より幅広い層の政治参画を後押しすることを目的に掲げており、筑波大学での調査では約9割がネット投票の利用を希望したという。 (参考:つくば市が取り組む選挙DX「インターネット投票」実証実験の裏側に迫る - KDDI be CONNECTED.、「次の市長選、市議選は必ずインターネット投票を」 - NEWSつくば)
一方で、公職選挙でのネット投票には大きな制度の壁がある。公職選挙法を所管する総務省は「選挙の公正確保の観点から課題がある」とし、「特区として実験的に行うべきものではない」との立場を示してきた。技術面でも、誰がどの環境からでも投票できるがゆえに「投票の秘密」をどう守るか、買収や投票の強要をどう防ぐかという論点が残る。市は規制改革の交渉を重ね、当初求めていた約40項目を実現可能性の高い28項目に絞り込むなど、制度面と技術面の両輪で実装可能性を探ってきた。本選挙でのネット投票が実現しないなかで、市民の意思決定にネット投票を「実際に使ってみる」機会として重ねられてきたのが、模擬投票やニーズ調査の一連の取り組みである。 (参考:インターネット投票への壁に挑む、つくば市 - 世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター、「次の市長選、市議選は必ずインターネット投票を」 - NEWSつくば)
本事例は、単発の企画ではなく、約7年にわたる段階的な実証の延長線上にある。最初の一歩は2018年8月28日、マイナンバーカードとブロックチェーンを組み合わせた国内初のネット投票実証だった。マイナンバーカードの公開鍵暗号とシステム側の鍵で投票内容を暗号化し、「投票者の情報」と「投票内容」を分離してデータベースとブロックチェーン上で別々に管理することで、管理者でも両者を結びつけられない仕組みを構築。有効投票119票を集め、システムを開発した株式会社VOTE FORは「1人1票」と「投票の秘密」の両立を検証できたとした。同時に、カードリーダーが必須で投票場所が限られることや、署名用パスワード(6〜16桁)の入力に戸惑う人が出るといった使い勝手の課題も明らかになった。 (参考:つくば市で実施したマイナンバーカードとブロックチェーンによるネット投票の裏側 - 仮想通貨 Watch、つくば市で効果を上げたネット投票、仕組みと技術 - 日経クロステック)
続く2019年度の実証では、4桁の利用者証明用パスワードと顔認証技術を導入し、自宅などからの遠隔投票にも踏み込むことで、利用者の負担を抑えつつ厳正な本人確認ができることを確かめた。2021年7月7日には、茨城県立並木中等教育学校の生徒会選挙で、4年生約150人がスマートフォンから投票する実証を実施。生体認証で本人確認し、投票内容をブロックチェーンで暗号化する仕組みを、実際の選挙の場で試した。 (参考:つくば市が取り組む選挙DX「インターネット投票」実証実験の裏側に迫る - KDDI be CONNECTED.、つくば市で実施したマイナンバーカードとブロックチェーンによるネット投票の裏側 - 仮想通貨 Watch)
スーパーシティ指定後の2022年11月8〜14日には、内閣府の調査実証事業として、筑波大学周辺・つくば駅周辺・小田地区・宝陽台地区の4地域を対象に「模擬住民投票」を実施した。16歳以上のマイナンバーカード保有者約1万4千人が対象で、デジタルID「xID」とブロックチェーンを用いたスマートフォン投票を行い、1,506票(投票率約10.8%)が投じられた。さらに2024年11月1〜11日には、市長2期目の行政運営の評価と退職金額を連動させる模擬投票を実施し、約1,048人が参加。市民の評価率(62.7%)に基づいて退職金額を約1,279万円と算定するという、ネット投票を実際の意思決定に結びつける試みも重ねられた。ただし、五十嵐市長が当初目標とした2024年の市長・市議選そのものでのネット投票導入は、制度の壁が残るなかで実現していない。 (参考:茨城県つくば市におけるインターネット投票に係る調査実証事業 - 内閣府、内閣府調査事業の一環として、つくば市でインターネット投票による「模擬住民投票」を実施へ - スパイラル株式会社、「つくば市長(2期目)の行政運営」インターネット模擬投票の結果 - つくば市)
2025年の投票は、こうした実証の到達点として、市民が「まちで最も実現してほしいサービス」を選ぶ形式をとった。提示されたのは3分野9案である。行政サービス分野は「インターネット投票の実現」「行政窓口のデジタル化(待たない・書かない・行かない市役所)」「生成AIによる市民の声の見える化」。モビリティ分野は「つくモビ(パーソナルモビリティのシェアリング)」「つくばスマートモビリティ」「ハンズフリーチケッティング」。ヘルスケア分野は「オンライン在宅医療支援」「『食』の提案による生活習慣病予防支援」「『もしもの時』を支える情報連携」。いずれも構想で検討されてきた具体的なサービス像であり、抽象的な賛否ではなく、限られた資源をどこに振り向けるかという優先順位を市民に問う設計になっている。 (参考:スーパーシティで『最も実現してほしい』サービスのインターネット投票 - つくば市)
投票の仕組みは、それまでの実証で磨いてきた要素を市民向けに整えたものだった。投票できるのは、つくば市に住民票があり、住所がつくば市内のマイナンバーカード(署名用電子証明書つき)を持つ人。市公式アプリ「つくスマ」を初期設定したうえで、マイナンバーカードの署名用電子証明書で本人確認を行う。市は、利用者が氏名や住所などを書き込む必要がなく、職員が手作業で照合することもないまま本人を確かめられる一方、誰がどの選択肢を選んだかは記録上たどれない仕組みにしている、と説明する。スマートフォンを持たない市民のために、投票期間中の平日8時45分〜16時30分、市役所の担当課(科学技術戦略課)に窓口も開設した。誰が投票したかは確認できても何に投票したかは分からない――この「本人確認」と「投票の秘密」の両立を、つくば市は実際の調査の場で運用した。 (参考:スーパーシティで『最も実現してほしい』サービスのインターネット投票 - つくば市)
第一の特徴は、「市民参加の手段」そのものを「市民参加で問う」という入れ子構造にある。一般に、まちづくりの意見聴取はアンケートやワークショップで行われ、その手段自体が政策の選択肢になることはない。つくば市は、長年実証してきたインターネット投票を、市民ニーズ調査の実施手段として使うと同時に、その「インターネット投票の実現」を投票対象の選択肢にも並べた。市民は、新しい仕組みを実際に体験しながら、それを望むかどうかを表明する。技術を説明するのではなく使ってもらうことで、賛否の判断材料を当事者の手に渡す設計といえる。 (参考:スーパーシティで『最も実現してほしい』サービスのインターネット投票 - つくば市)
第二に、争点化しやすい「公職選挙のネット投票」を正面から扱う前に、制度のハードルが低い「ニーズ調査」という場でネット投票を社会実装した点である。公職選挙でのネット投票は公職選挙法の壁が高く、総務省も慎重な立場をとる。つくば市はその実現を最終目標に据えつつ、選挙そのものではない意思決定(市長退職金の評価、サービス優先度の選択など)でネット投票を反復運用してきた。本選挙でのネット投票が止まっていても、本人確認・投票の秘密・操作性・カード保有といった実装上の論点は、こうした実地の運用を通じてしか検証できない。制度改革を待つのではなく、使える領域から先に回して経験と信頼を積み上げる進め方が、この事例の戦略的な特徴である。 (参考:インターネット投票への壁に挑む、つくば市 - 世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター、「次の市長選、市議選は必ずインターネット投票を」 - NEWSつくば)
第三に、本人確認と投票の秘密の両立を、特別なリーダー機器を使う実験室ではなく、市民が手持ちのスマートフォンとマイナンバーカードで完結できる形にまで落とし込んだ点である。2018年の最初の実証ではカードリーダーが必須で投票場所が限られ、署名用パスワードの入力に戸惑う人もいた。その後、顔認証や利用者証明用パスワード、アプリ「つくスマ」の整備を重ね、2025年には署名用電子証明書による認証と秘密保持を、日常の端末で動く市民向けサービスとして提供できる段階に至っている。技術検証の成果を、限られた被験者ではなく一般市民が使える運用へと接続した段階にあたる。 (参考:つくば市で実施したマイナンバーカードとブロックチェーンによるネット投票の裏側 - 仮想通貨 Watch、スーパーシティで『最も実現してほしい』サービスのインターネット投票 - つくば市)
一方で、本来の目標である公職選挙でのネット投票は、調査時点でも実現していない。公職選挙法を所管する総務省は慎重姿勢を崩しておらず、買収や投票の強要をどう防ぐか、再投票機能と投票の秘密の原則をどう両立させるかといった論点も残る。技術面でも、マイナンバーカードの保有率は2024年6月末で76.5%にとどまり、保有していない市民は同じ手段では参加できない。今回の調査でも、投票総数は3分野合計で約1,400票規模であり、市の人口(約25万人)に照らせば参加はなお限定的だった。ニーズ調査としての運用は成立した一方、誰もが使える普及した投票手段になるには、制度・利便性・保有率の各面で課題が残っている。 (参考:2024年10月につくば市でスタート「インターネット投票」とは? - NTT東日本、「次の市長選、市議選は必ずインターネット投票を」 - NEWSつくば)
「投票の秘密」と「本人確認」の両立は、技術的にはすでに実装可能な段階にある。 つくば市の一連の実証は、マイナンバーカードの電子証明書で本人を確認しつつ、回答者と回答内容を分離して投票の秘密を守る仕組みが、実験室だけでなく市民が手持ちの端末で使える運用にまで成熟していることを示している。ネット投票の導入を検討する自治体にとって、論点は「技術ができるかどうか」よりも、「カードの保有率や操作支援といった利用環境」と「公職選挙法をはじめとする制度」をどう整えるかに移っている。技術の可否と制度・運用の可否を分けて議論することが、現実的な検討の出発点になる。 (参考:つくば市で実施したマイナンバーカードとブロックチェーンによるネット投票の裏側 - 仮想通貨 Watch、2024年10月につくば市でスタート「インターネット投票」とは? - NTT東日本)
制度の壁が高い領域は、ハードルの低い意思決定で「先に使って慣らす」ことができる。 つくば市は、公職選挙でのネット投票という最終目標を掲げつつ、選挙そのものではないニーズ調査や模擬投票で同じ仕組みを反復運用してきた。本選挙の制度改革を待つあいだに、本人確認・投票の秘密・操作性・参加率といった実装上の課題を実地で洗い出し、市民にも体験を通じた判断材料を渡している。新しい参加手段を導入したい自治体は、いきなり最も争点化しやすい場面に投入するのではなく、優先度調査や任意のアンケートなど制度的制約の小さい意思決定から始め、運用実績と住民の信頼を積み上げる段階設計が有効である。 (参考:インターネット投票への壁に挑む、つくば市 - 世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター)
参加手段そのものを選択肢に並べると、施策への支持を「使った当事者の声」で測れる。 つくば市は、インターネット投票を調査の手段に使うと同時に、その実現を投票対象の一つにも据えた。結果として、実際に使った市民がそれを最も望むサービスに選ぶという、体験に裏づけられた支持が可視化された。新サービスの是非を住民に問う際、説明資料による賛否ではなく、まず体験してもらったうえで評価を得る設計は、抽象的な賛否を超えた「自分ごと」としての判断を引き出しやすい。デジタル施策の導入可否を住民とともに決めたい自治体にとって、応用可能な発想である。 (参考:『最も実現してほしい』サービスに関する市民ニーズ調査 結果 - つくば市、スーパーシティで『最も実現してほしい』サービスのインターネット投票 - つくば市)
優先度を「票」で問う調査は、限られた資源の配分根拠になりうる。 9つの具体的なサービスを分野ごとに並べ、市民にどれを優先してほしいかを票で問うたことで、関心の濃淡が数字で表れた。総合計画や個別事業の意思決定で「何から着手するか」を判断する際、こうした分野内の優先順位を可視化する手法は、合意形成の透明性を高める。ただし、参加が一部にとどまれば結果の代表性に限界が残るため、保有率や操作支援、参加チャネルの多様化とあわせて設計する必要がある点も、つくばの事例が同時に示している。 (参考:『最も実現してほしい』サービスに関する市民ニーズ調査 結果 - つくば市)
2026年6月時点の調査内容に基づいて作成
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