
世田谷グリーンインフラ学校・自分でもできる雨庭づくり
世田谷区と世田谷トラストまちづくりが2021年度から続ける市民参加型のグリーンインフラ人材育成講座。約1坪の「自分でもできる雨庭」を座学と手づくり施工で学び、5年で累計約100名が卒業。卒業生が担う「奥沢コミュニティ雨庭」へと実践を継承する受け皿設計が特徴の事例。
「世田谷グリーンインフラ学校〜自分でもできる雨庭づくり」は、世田谷区と一般財団法人世田谷トラストまちづくりが取り組む、市民参加型のグリーンインフラ(GI)人材育成の連続講座である。グリーンインフラとは、雨水貯留・浸透や生物多様性の向上といった自然環境の多様な機能を賢く活用してまちづくりを進める考え方を指し、その入口として区が普及を進めているのが「雨庭(あめにわ)」である。雨庭は、屋根などに降った雨をいったん庭に溜め込み、時間をかけてゆっくり地中へ染み込ませる仕組みの庭であり、近年頻発する局地的な豪雨によって雨水が短時間に下水道や河川へ集中する事態を和らげる効果が見込まれている。 (参考:世田谷グリーンインフラの普及・推進(世田谷トラストまちづくり)、小さな雨庭から始める環境共生(TOKYO UPDATES/東京都))
取り組みは、2020年度に世田谷トラストまちづくりが「自分でもできる雨庭」づくりを始めたことに端を発し、2021年度からは区が財団に企画・運営を委託する形で「世田谷グリーンインフラ学校」を毎年開講している。専門家の指導のもと、グリーンインフラや雨・植物について体系的に学び、演習フィールドで雨庭を手づくり施工するのが特徴で、2025年度で5年目を迎えた。定員は各年度20名程度で応募多数の場合は抽選、これまでに累計約100名が卒業している。さらに卒業生の有志が月1回、公園の雨庭を手入れする「奥沢コミュニティ雨庭」の活動を続けており、講座が単発の学びで終わらず地域の担い手コミュニティへと接続している点が本事例の核心である。 (参考:世田谷グリーンインフラの普及・推進(世田谷トラストまちづくり)、(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省グリーンインフラ懇談会))
世田谷区は人口約92万人を擁する住宅都市で、東京23区の中でも戸建て住宅が多く、区域の多くを民有の宅地が占める。このため、道路や公園といった公共空間の整備だけでは雨水対策や緑の確保に限界があり、一軒一軒の敷地における個人の主体的な取り組みをどう引き出すかが、豪雨対策と生物多様性の双方にとって重要な課題となっていた。区はグリーンインフラを「世田谷区みどりの基本計画」「世田谷区豪雨対策行動計画」「世田谷区環境基本計画」に位置づけ、公共と民有地の両面から推進する方針を掲げている。 (参考:世田谷区のグリーンインフラ(世田谷区)、(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省))
一方で、グリーンインフラという概念は市民にとって必ずしも身近ではない。財団自身が「既存の環境保全・創出に関わるボランティアや市民活動団体にとって、グリーンインフラは『ピンとこない』『私たちにはあまり関係ない』という意識が現状」だと整理しているように、専門用語のままでは民有地での実践は広がりにくい。そこで求められたのは、抽象的な理念を「自分の庭でもできること」に翻訳し、材料や手順、費用感まで具体的に示して参入の心理的ハードルを下げる仕掛けであった。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省))
もう一つの背景として、財団が2020年度に整備を担った「次大夫堀公園内里山農園の雨庭」(喜多見)など、行政・財団側で雨庭のモデルづくりを先行させていた蓄積がある。こうしたモデルを「見せる」段階から、市民が「自分でつくる」段階へと展開させるために、体系的に学べる場と、学んだ市民が実践し続けられる受け皿の両方が必要だという認識が、講座と関連事業の設計を貫いている。 (参考:令和3年度 世田谷グリーンインフラ学校の概要(世田谷トラストまちづくり)、世田谷グリーンインフラの普及・推進(世田谷トラストまちづくり))
事業の基盤にあるのが、2020年度に始まった「自分でもできる雨庭」というコンセプトである。財団はこれを、(1)日曜大工の感覚でホームセンターの資材から仕立てられること、(2)庭仕事の延長として植物の成長を楽しめること、(3)多様な植物が虫や鳥のすみかとなる環境をつくれること、の三つを満たす庭と定義した。専門工事ではなくガーデニングの延長として位置づけることで、造園の知識がない区民でも取り組める最小単位に落とし込んでいる。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省)、世田谷グリーンインフラの普及・推進(世田谷トラストまちづくり))
このコンセプトを担い手育成へ展開したのが2021年度開講の「世田谷グリーンインフラ学校」である。初年度(令和3年度)は全4日間の構成で、1日目に豪雨対策・水循環・生物多様性を扱う概論、2日目に雨の流れと植物・植栽デザイン、3日目に演習フィールドの観察・調査とデザイン演習、4日目に実際の手づくり施工を行った。講師には神谷博氏(NPO雨水まちづくりサポート理事長・法政大学客員研究員)、福岡孝則氏(東京農業大学教授)、ガーデンデザイナーの平工詠子氏に加え、米国オレゴン州ポートランド市環境局次長のドーン内山氏も登壇し、先進地の事例を交えて学びを深めた。現在は全3回の構成に整理されているが、「座学で流域から考える→雨と植物・デザインを学ぶ→演習フィールドで手づくり施工する」という骨格は一貫している。 (参考:令和3年度 世田谷グリーンインフラ学校の概要(世田谷トラストまちづくり)、令和7年度 世田谷グリーンインフラ学校(学芸出版社まち座))
グループワークとディスカッションを重視した「主体的な学びの場」であることも特徴で、初年度には「自分が住む地域がどの河川流域か」を可視化する自己紹介や、演習フィールドの高低差・土質・雨水の流れを実地で観察・調査するプログラムが組まれた。参加者は学びを踏まえて雨庭の実施計画をグループで作成・発表し、最終日には「どろんこ雨池+導水路」「雨池型」「バイオスウェル型」「坪庭型」「浸透ます型」など複数タイプの雨庭を実際に施工した。演習フィールドは、区立代田富士356(みごろ)広場(2021年度)、奥沢二丁目公園(2022年度)、弦巻四丁目松の木鈴木市民緑地(2024年度)と、区内の公園・市民緑地を年度ごとに移しながら実践の場を広げている。 (参考:令和3年度 世田谷グリーンインフラ学校の概要(世田谷トラストまちづくり)、(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省))
学校での学びを市民が自宅で再現できるよう、財団は「自分でもできる雨庭」の手引きを制作している。2024年3月発行のvol.1は、約1坪(3.3平方メートル)の雨庭を自分の手でつくるための作業手順・資材リスト・コツをひとまとめにした自習用ガイドで、2024年度からのvol.2は個人宅などで実際に施工した雨庭の5つの事例を紹介する。vol.2は5,000部を発行し、財団ホームページでもPDFを公開、まちづくりセンターや図書館などでも配布した。植栽には宿根草や球根を基本とし、芽吹きから枯れるまでを自然のまま楽しむ「ナチュラリスティックガーデン」の考え方を採り入れ、無農薬・ローメンテナンスで生きものを呼ぶ庭づくりを推奨している。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省)、令和3年度 世田谷グリーンインフラ学校の概要(世田谷トラストまちづくり))
さらに、卒業して終わりにしない継続の仕組みとして、2023年度から「#奥沢コミュニティ雨庭」の活動が始まった。きっかけは、前年度の講座で受講生とともに施工した公園内3か所の雨庭について、その後の手入れが行き届かなくなっていたという反省であり、「継続的に雨庭や植物の維持管理に関わりたい」という卒業生の声と結びついた。現在は毎月第2金曜日の午前中に、奥沢二丁目公園の雨庭と宿根草の手入れを行い、雨庭づくりを担える人材を地域から育てつつ、雨庭を見守り続ける地域のつながりをつくることを目的としている。加えて財団は、卒業生を主対象とする雨庭づくりの相談対応を試行し、区内の造園・建築業界団体向けの雨庭づくり研修(第1回を2025年3月に開催)も始めるなど、市民・地域リーダー・専門家の各層で担い手を育てる体制を整えつつある。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省)、小さな雨庭から始める環境共生(TOKYO UPDATES/東京都))
第一の特徴は、グリーンインフラという抽象的な理念を「約1坪・ホームセンター材料・ガーデニングの延長」という誰でも着手できる最小単位まで具体化し、それを手引き(セルフガイド)として標準化した点にある。特定の専門家の技量に依存せず、材料と手順を明文化することで、講座を受けていない市民でも独力で雨庭づくりに取り組める再現性を確保している。行政が公共施設に大規模なインフラを整備する発想ではなく、宅地の多い都市特性を逆手にとり、無数の個人実践を束ねてまち全体のグリーンインフラへとスケールさせる戦略である。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省)、世田谷グリーンインフラの普及・推進(世田谷トラストまちづくり))
第二に、人材育成の講座が陥りがちな「学んで終わり」を、失敗の直視を起点に乗り越えた点である。施工した雨庭が十分に管理されないという課題を放置せず、それを卒業生の継続意欲と接続して「奥沢コミュニティ雨庭」という自主活動の受け皿を用意した。学ぶ場(学校)・実践する場(演習フィールドと自宅)・続ける場(コミュニティ活動)を一連の流れとして設計している点が、単発イベントの積み重ねとは一線を画す。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省)、小さな雨庭から始める環境共生(TOKYO UPDATES/東京都))
第三に、区の外郭団体である世田谷トラストまちづくりが「市民と専門家をつなぐ」中間支援組織として機能している点である。区が企画・運営を委託し、財団が講師(大学・実務家)や造園・建築業界団体、区民をコーディネートする構図により、市民(実践者)→地域リーダー→施工を担う専門家という重層的な担い手の連鎖が生まれている。防災(豪雨対策)と生物多様性・コミュニティ形成という複数の政策目的を、雨庭という一つの具体物に束ねている点も、縦割りになりがちな行政課題を横断する工夫といえる。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省)、世田谷グリーンインフラの普及・推進(世田谷トラストまちづくり))
人材育成の面では、2021年度の開講以降、各年度20名程度の定員に対し抽選となる応募が続き、2024年度までの4年間で81名、5年目の2025年度を含めると累計約100名が「グリーンインフラ実践者」として卒業している。初年度は区内外から60名を超える応募があり、申込時のアンケートでは「雨庭に取り組む場所があるか」との問いに75%(45名)が「ある」と回答するなど、着手意欲の高い層を集められたことがうかがえる。修了後アンケートでは満足度が「とても良かった・良かった」を合わせて94%に達し、「本質を学べた」「普段目に見えない雨水の流れを理解した」といった声が寄せられた。雨庭を「ただつくる」だけでなく、地域の環境改善につながる営みとして理解を促せたことが定性的な成果として確認できる。 (参考:令和3年度 世田谷グリーンインフラ学校の概要(世田谷トラストまちづくり)、(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省))
継続活動としては、卒業生有志による「奥沢コミュニティ雨庭」が毎月定例で維持管理を続けており、講座の学びが地域コミュニティの活動として定着している。普及ツールの面でも、手引きvol.2を5,000部発行してホームページでPDF公開するなど、講座の受講者に限らず広く雨庭づくりの手順を届ける展開が進む。こうした一連の取り組み(雨水まちづくりサポートとの協働を含む)は評価を受け、2024年12月には国土交通省の第5回グリーンインフラ大賞で大臣賞を受賞している。受賞後は国・自治体・企業からの視察や問い合わせが増えており、住宅都市発の市民参加型モデルとして外部からの注目も高まっている。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省)、小さな雨庭から始める環境共生(TOKYO UPDATES/東京都))
第一に、市民の主体的実践を引き出すには、理念を「最小実装単位」まで翻訳し標準化することが有効だという示唆がある。世田谷では「グリーンインフラを広めよう」ではなく「約1坪の雨庭を、ホームセンターの材料で、ガーデニングの延長でつくろう」という粒度まで落とし込み、手引きとして手順化した。担い手が特定の専門家に依存しないため他地域でも横展開しやすく、防災・浸透・緑・生物多様性など複数の政策を一つの具体物に束ねられる。抽象度の高い施策に市民を巻き込みあぐねている自治体にとって、参入障壁を下げる設計の参考になる。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省)、世田谷グリーンインフラの普及・推進(世田谷トラストまちづくり))
第二に、人材育成事業では「修了後の受け皿」を制度として組み込むことが持続性を左右するという教訓である。世田谷の事例は、施工物の管理不全という失敗を隠さず、それを卒業生の継続意欲と結びつけて自主活動へ転換した。講座・実践・継続を分断せず一連で設計し、さらに専門家向け研修や相談窓口で担い手の層を厚くする発想は、ワークショップや連続講座を「開催すること」自体が目的化しがちな取り組みへの具体的な処方箋となる。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省)、小さな雨庭から始める環境共生(TOKYO UPDATES/東京都))
一方で、この事例は残された課題も率直に示している。財団自身が国への政策要望として、グリーンインフラの多様な効果の「見える化(定量評価)」の必要性や、中間支援組織の人手不足、環境保全ボランティアの高齢化と若い世代の巻き込みといった論点を挙げている。市民の実践がどれだけの雨水貯留・浸透量や生物多様性の向上につながったかを客観的に測る指標が確立されていないことは、同種の取り組みを広げようとする他地域にとっても共通の壁である。世田谷の到達点と未解決の課題の双方を踏まえることで、GI人材育成を「熱意頼み」で終わらせず、評価と資金循環の仕組みへ接続する次の一歩を構想する手がかりが得られる。 (参考:(一財)世田谷トラストまちづくりの話題提供資料(国土交通省))
2026年7月時点の調査内容に基づいて作成
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