
つくばSTEAMコンパスとつくばスタイル科の探究学習
「科学技術のまち」を名乗りながら市民が恩恵を実感しにくいという乖離に対し、つくば市が地域最大の資源である研究者・研究機関の集積を、独自教科「つくばスタイル科」の正規授業に研究者伴走型の探究として組み込んだ事例。固有資源を課外イベントではなく通常課程に接続する設計を整理した。
つくば市は、「科学技術のまち」を掲げながら、市民意識調査では住民の半数近くが「身近な生活で科学技術の恩恵を感じていない」と答えるという乖離を抱えていた。この乖離を埋める一手が、地域最大の資源である研究者・研究機関の集積を子どもの学びに直接つなぐ体験型科学教育事業「つくばSTEAMコンパス」である。所管は市の政策イノベーション部 科学技術戦略課で、教育委員会だけの事業ではなく、科学技術政策の一環として設計されている点が特徴的である。 (参考:つくばSTEAMコンパス - つくば市、Society5.0時代の人材育成(つくばSTEAMコンパス)- 内閣官房デジタル田園都市国家構想)
事業の核心は、単発の出前授業ではなく、市独自の教科「つくばスタイル科」の正規授業のなかに、研究者が複数回にわたって伴走する探究学習を組み込んだことにある。2025年度は市内の小学校・中学校など7校で、1校あたり約15時限・研究者の全3回のサポートのもと、自然環境・気候変動・防災・まちづくりといった社会や地域に関わるテーマで、子どもが自ら問いを立てて探究を進めた。本事例は、地域固有の資源を課外イベントとしてではなく「通常の授業」に接続する設計として読み解ける点に価値がある。 (参考:つくば市「つくばSTEAMコンパス」2025年度実施レポート - STEAM JAPAN、つくばSTEAMコンパス - つくば市)
つくば市は約150の官民研究機関と1万人を超える研究者が集積する、国内有数の研究開発拠点である。しかし、こうした科学技術の集積が、必ずしも市民の日常の実感には結びついていなかった。市の意識調査では「身近な生活で科学技術の恩恵を感じているか」という問いに対し、半数近くが「感じていない」と回答していた。「科学のまち」というブランドと住民の実感との間にある乖離が、事業立ち上げの出発点となっている。 (参考:つくば市「つくばSTEAMコンパス」探究の現場レポート - STEAM JAPAN、Society5.0時代の人材育成 - 内閣官房デジタル田園都市国家構想)
この課題に対し、市は地域の科学技術リソースを子どもの教育に活かすという方針を採った。2018年に課題探究型の社会教育イベントとしてトライアルを始め、2019年に小中学校向けのカリキュラムとして本格化させた。さらに2020年3月、コロナ禍による休校や科学イベントの自粛で学びの場が失われるなか、短期間で「つくばこどもクエスチョンオンライン」を立ち上げた。子どもが研究計画書をもとに疑問を投げかけ、研究者が動画やメールで答えるこの仕組みは、開設後1週間で1万件を超えるアクセス(11,215セッション)を集め、その7割超が市外からだった。 (参考:つくば市「つくばSTEAMコンパス」探究の現場レポート - STEAM JAPAN、Society5.0時代の人材育成 - 内閣官房デジタル田園都市国家構想)
一方、つくば市にはこの事業を受け止める教育基盤があった。市は2007年度から小中一貫教育に着手し、2012年度には文部科学省の教育課程特例校の指定を受けて独自教科「つくばスタイル科」を創設していた。これは総合的な学習の時間や外国語活動などを再編し、9年間を貫いて探究的に学ぶ正規の授業時間を確保した教科である。研究者連携の探究を「特別な課外活動」としてではなく「日常の授業」として組み込める器が、すでに整っていた。 (参考:つくば市の小中一貫教育「つくばスタイル科」- ベネッセ教育情報、つくば市教育プラン(第3章)- つくば市)
つくばSTEAMコンパスの学校授業を支えているのは、独自教科「つくばスタイル科」である。2012年度に教育課程特例校制度を用いて創設されたこの教科は、総合的な学習の時間と外国語活動のすべての時間に、生活科・特別活動・道徳の一部を充てて再編したもので、学年に応じて年間34〜115時間が割り当てられている。扱う内容は環境、キャリア、歴史・文化、健康・安全、科学技術、国際理解、福祉、豊かな心の8領域にわたり、子どもが問いを立て(In)、情報を集めて協働し(About)、考えをまとめて発信する(For)という発信型のプロジェクト学習として進められる。育てたい力は、筑波大学やインテルなどと共同で構築した「つくば次世代型スキル」として定義されている。プログラミング学習も、問題解決学習の一手法としてこの教科に位置づけられている。 (参考:つくば市教育プラン(第3章)- つくば市、つくば市の小中一貫教育「つくばスタイル科」- ベネッセ教育情報、つくば市のプログラミング教育 - つくば市教育局)
STEAMコンパスは、このつくばスタイル科の単元プラン「研究者と作る研究計画書」として学校現場に入る。子どもはまず、調べてみたいことを「研究計画書」にまとめる。テーマを決め、アイデアをイラスト化し、研究の手順や参考文献、調査候補地、話を聞きたい人などを書き込み、表紙を描いて仕上げるという、研究者の作法をなぞった共通のフォーマットである。この一枚を起点に、研究者との対話を通じて探究が動き出す。 (参考:つくばSTEAMコンパス - つくば市、Society5.0時代の人材育成 - 内閣官房デジタル田園都市国家構想)
学校での授業は段階的に拡大してきた。2021年度に試験的に1校で始まり、2022年度3校、2023年度5校、2024年度6校、そして2025年度は市内の小学校・中学校など7校で実施されている。2025年度は1校あたりおよそ15時限で構成され、気象・災害・昆虫・魚類・鳥類・都市地域計画など多様な専門の研究者が、1校につき全3回の授業サポートを行った。子どもたちはフィールドワークで地域に出て、問いを立て、調べ学習や実験を重ね、解決策のプロトタイプを制作し、中間・最終発表へとつなげていった。 (参考:つくば市「つくばSTEAMコンパス」2025年度実施レポート - STEAM JAPAN、つくば市「つくばSTEAMコンパス」探究の現場レポート - STEAM JAPAN)
特徴的なのは、研究者が一度きりの出前授業で終わらず、探究の最初から最後まで伴走する設計である。授業の運営は、研究機関との連絡調整や研究者の選定を科学技術戦略課が、指導案づくりや学校との調整を教育局総合教育研究所が分担する。さらに、授業後もMicrosoft Teamsのチャットを通じて子どもが研究者に直接質問でき、教室の外でも探究を続けられる。市内には14名のICT支援員と4名のICT教育アドバイザーが配置され、こうしたデジタル環境を下支えしている。 (参考:つくば市「つくばSTEAMコンパス」探究の現場レポート - STEAM JAPAN、つくばSTEAMコンパス - つくば市)
事業は学校授業だけにとどまらない。市は「つくばSTEAMコンパス」のホームページを運営し、研究機関と連携した体験型科学教育イベントを開催するほか、研究者を紹介するインタビュー記事なども発信している。学校の授業、オンラインでの質問対応、地域での科学イベントという複数の入口を用意することで、子どもが科学技術に触れる機会を多面的に広げている。 (参考:つくばSTEAMコンパス - つくば市、つくば市「つくばSTEAMコンパス」2025年度実施レポート - STEAM JAPAN)
第一の特徴は、研究者との連携を、課外のイベントや単発の出前授業ではなく、義務教育の通常課程に組み込んでいる点である。全国を見渡すと、研究者が学校教育に関わる枠組みは、高校段階のスーパーサイエンスハイスクールや、夏季の単発イベント、大学生の派遣などが中心で、義務教育の日常の授業に研究者が継続的に伴走する形は多くない。つくばは、約1万人の研究者の集積を背景に、研究者が小中学校の独自教科の単元授業に複数回伴走するという、通常の学びのなかに本物の研究者との協働を埋め込む構造を採っている。 (参考:STEAM教育等の各教科等横断的な学習の推進 - 文部科学省、Society5.0時代の人材育成 - 内閣官房デジタル田園都市国家構想)
第二に、「研究計画書」という共通フォーマットと伴走型の設計によって、探究の質を担保しつつ属人性を抑えている点である。子どもはまず調べたいことを研究計画書にまとめ、研究者がそれをもとに探究を支援する。一度きりの講演ではなく、フィールドワークから発表まで研究者が付き添い、授業外もオンラインでつながる。誰が担当しても一定の流れで探究を立ち上げられる型を用意することは、特定の名物教員や特定の研究者の熱意だけに依存しない仕組みづくりにつながる。 (参考:つくばSTEAMコンパス - つくば市、つくば市「つくばSTEAMコンパス」探究の現場レポート - STEAM JAPAN)
第三に、この事業が教育委員会単独ではなく、市の科学技術政策として設計されている点である。「科学技術のまちなのに恩恵を実感できない」という市民意識調査の結果を起点に、科学技術戦略課が研究機関とのネットワークを担い、教育局が学校現場との橋渡しを担う。シティプロモーションと教育を別々に走らせるのではなく、地域ブランドの源泉である研究資源を子どもの学びに還元することで、ブランドを住民の実感に変えようとする発想が、この事例の根底にある。 (参考:つくばSTEAMコンパス - つくば市、Society5.0時代の人材育成 - 内閣官房デジタル田園都市国家構想)
最も明確に確認できる成果は、学校での実施規模の着実な拡大である。学校授業は2021年度の試験的な1校から、2022年度3校、2023年度5校、2024年度6校、2025年度7校へと、毎年広がってきた。2022年時点のデジタル田園都市国家構想の事例資料によれば、つくばSTEAMコンパスが開催したイベントの延べ参加者数は798名にのぼり、研究者の指導を受けた参加者が「小学生のぼうさい探検隊マップコンクール」や「自然科学観察コンクール」で受賞する例も生まれている。 (参考:つくば市「つくばSTEAMコンパス」探究の現場レポート - STEAM JAPAN、Society5.0時代の人材育成 - 内閣官房デジタル田園都市国家構想)
子どもの反応については、定性的なエピソードが報告されている。ある小学2年生のクラスでは、研究者による授業の後に「研究者になりたい人」と尋ねると、クラスの8割ほどが手を挙げたという。コロナ禍に立ち上げた「つくばこどもクエスチョンオンライン」が1週間で1万件を超えるアクセスを集め、その7割超が市外からだったことも、研究者と子どもを直接つなぐ仕組みへの関心の広さを示している。ただし、参加した児童生徒の探究心や科学への興味の変化を測った定量的な調査結果は、調査時点では公表されていない。 (参考:つくば市「つくばSTEAMコンパス」探究の現場レポート - STEAM JAPAN、Society5.0時代の人材育成 - 内閣官房デジタル田園都市国家構想)
より長い射程の成果は、STEAMコンパスの土台にある「つくばスタイル科」を含む小中一貫教育全体に見ることができる。市の教育評価懇談会が2018年にまとめた報告書では、ある施設一体型の小中一貫校について、全国学力・学習状況調査で6学年・9年生がともに4教科の合計で全国平均を50ポイント以上上回り、知識そのものより知識の活用を問う設問でとくに高い結果を示したことが報告されている。また、自分の考えを口頭や文章で表現することに難しさを感じる児童生徒の割合は、全国平均を10ポイント下回ったという。ただしこれは特定校の数値であり、かつ小中一貫教育とつくばスタイル科全体の成果であって、STEAMコンパス単独の効果ではない点には注意が必要である。 (参考:つくば市の小中一貫教育の成果と課題(つくば市教育評価懇談会報告)- つくば市)
つくば市の教育は、1977年に竹園東小学校で日本初とされるコンピュータ教育に取り組んで以来のICT活用の蓄積でも知られ、近年も令和6年度の日本ICT教育アワード総務大臣賞などを受けている。研究資源とデジタル基盤の双方の蓄積が、研究者伴走型の探究を支える条件となっている。 (参考:つくば市のICT教育 - つくば市教育局)
一方で課題も残る。実施校は7校にとどまり、市内全校への展開には至っていない。研究機関との調整や研究者の確保には相応のコストがかかり、特定の研究者の協力に依存しやすい構造もある。事業の属人性や持続性、研究者側の負担を体系的に検証した第三者評価は、調査時点では確認できなかった。先進的な仕組みである一方で、量的な拡大と持続性の担保は今後の論点である。
最も再現性のある学びは、地域固有の資源を「課外イベント」ではなく「通常の授業」に接続するという発想である。多くの地域では、地元の専門家や産業との連携は特別講座や職場体験など一過性の機会にとどまりがちだが、つくばは独自教科という形で正規の授業時間を確保し、そこに研究者連携を組み込んだ。固有資源を学びに生かすには、まず「時間の器」を制度的に用意することが要になる、という順序が示唆的である。つくばの場合、その器が教育課程特例校制度を用いたつくばスタイル科だった。
二つ目は、連携を一過性にしないための設計である。前述のとおり、つくばは共通フォーマットと最後まで付き添う伴走型によって探究を立ち上げ、深めていった。他地域にとって参考になるのは、この「型」を用意すること自体が持つ効用である。誰が担当しても同じ流れで探究を始められる枠組みは、学びの深さと再現性の双方を支えると同時に、名物教員や特定の協力者の熱意だけに依存しない持続的な仕組みづくりにつながる。
三つ目は、教育を地域ブランドと住民の実感との橋渡しに使うという視点である。つくばは「科学技術のまちなのに恩恵を実感できない」という住民の声を起点に、教育を通じてブランドを内在化させようとした。シティプロモーションと教育を別々に進めるのではなく、地域の強みの源泉を子どもの学びに還元するこの発想は、観光・産業・自然など別の強みを持つ地域にも置き換えられる。実際、国の事例資料も、地場の特徴的なリソースと教育を掛け合わせれば同種の教育環境を他地域でも提供できると指摘している。 (参考:Society5.0時代の人材育成 - 内閣官房デジタル田園都市国家構想)
ただし、移植できるのは個別の条件ではなく設計思想である点には留意が必要である。つくばが持つ約1万人の研究者という資源は、他地域に等しくあるものではない。再現すべきは「研究者」そのものではなく、地域に固有の人・場・産業を、共通フォーマットと伴走型の探究を通じて正規の学びに組み込むという構造である。同時に、つくばでも実施校は7校にとどまり、調整コストや属人性、持続性といった課題は残る。固有資源と通常課程を結ぶ仕組みをどう量的に広げ、誰が担っても回る形にしていくかは、つくばを含むすべての地域に共通する次の課題といえる。
2026年6月時点の調査内容に基づいて作成
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